【大阪発】「いくら球児に才能かあってもブラジルではスカウトの目に留まることは難しい」――こう話すのは元日系社会青年海外協力隊の高江直哉さん(31歳)=大阪府在住=。2018年から2年間、バイア州サルバドール市で野球指導を行い、ブラジル球児たちの身体能力の高さや呑み込みの早さに将来性を見出した。だがブラジルには野球のプロリークや社会人リークがなく、高校や大学には野球部すら存在しない。高江さんは帰国後、ブラジル球児たちに野球の進路を作りたいと情熱を燃やし、日本への野球留学の橋渡し役を担っている。現在は日系ブラジル人2人が留学中だが、今後は留学資金を募る仕組みを作って日伯の野球留学をもっと盛んにしたいと話す。
現在、大阪府能勢町で地域おこし協力隊として働く高江さんは、小学生のころから野球を始め、大学卒業後は高校教師をしながら野球部コーチを務めていた。その後、オーストラリアの中学校で日本語補助教員をやり、それから日系社会青年海外協力隊員となって野球指導を通した青少年教育を目的に渡伯した。
着任したサルバドール市の少年野球チームは、地元日系人が所有する球場で練習していたが、球児たちの大半は非日系の貧困家庭の子供だった。
そんな球児たちと日々触れ合うも、いくら野球を続けたくてもそれで進路を築くことは難しい現状があった。
そこで高江さんは、自身の教え子で球場所有者の息子の清水ダデウ健次さん(当時15歳)に「日本に野球留学してはどうか?」と尋ねてみると、目を輝かせながら「留学したい」と望んだという。高江さんはそんな教え子の願いを叶えられないものかと大学時代の先輩に連絡した。
この先輩は立正大学淞南高等学校(島根県松江市)の野球部部長を務めていた。野球留学の相談に乗ってもらったところ、たまたま同校が留学生の受け入れを検討していたこともあって見事マッチングした。
その間、高江さんは同協力隊の任期を終えたことて一旦帰国するも、20年2月に単独でブラジルへ戻り、現地に腰を据えて野球留学の活動に専念しようとしていた。
その矢先、新型コロナウイルスが流行したため、当初は清水さんの保護者として彼の母親が日本へ同行する予定だったが、コロナの影響でブラジルに戻れなくなる不安が生じ、高江さんが保護者代行として清水さんを日本へ連れて行った。
コロナ禍では再度の渡伯も難しく先行き不透明となった高江さんだったが、そこに淞南高校から声が掛かり、同校にて野球部コーチと留学生たちの日本語教員として働くことになった。
そして昨年8月には、サンパウロ州イビウーナのヤクルト野球アカデミーに所属していた興梠フェリペ・ケンゾウさん(17歳)が、コロナのため野球ができなくなったとの知らせを受けたため、彼も淞南高校へ招いた。
ただし、留学にあたって高校側が学費の一部を免除しているものの渡航費や生活費は自己負担となる。そのため興梠さんの母親がそれら費用を賄うためにデカセギで一緒に来日したという。
このような高江さんの親身になった活動がブラジル野球界で評判となり、今年に入ってからも球児2人の野球留学の相談があった。
しかし、野球留学には家庭の費用負担が大きく、高江さんによると「渡航費や手続き費のことも考慮すると、留学するには少なく見積もっても年間に70万円はかかる」という。そのため野球留学を相談した2人も費用捻出の壁にぶつかり、留学を断念せざるをえない状況となった。
今春から高江さんは淞南高校を離れて大阪府で仕事をしているが、次は野球留学資金を援助する制度を作ろうと模索している。「今後も留学希望者は出てくると思うので、費用を捻出するための基金の立ち上げや奨学金制度を作れないかなと、いろいろと考えているところです」と高江さん。日本で野球をやりたいというブラジル球児たちの進路を築くため「私が仲介人となってその道を拓きたい」と意気込んだ。(福岡通信員=吉永 拓哉)