最高裁判事を「娼婦の子」呼ばわり
最高裁の中で最も学究肌と言われるルイス・ロベルト・バローゾ判事(選挙高裁長官兼任)のことを、「filho da p…」(意訳「娼婦の子」最低の侮蔑語)と侮辱する大統領という構図は、現在の荒んだ政治状況を端的に表している。
これは6日、サンタカタリーナ州シャペコ市で支持者に囲まれたボルソナロ氏が、フェイスブックの生中継中に口走った言葉で、前代未聞だ。あまりの品のなさに唖然とする。この動画は数日後に削除された。
最近の大統領の言動に関しては、どんなジャーナリストも首をかしげ、「Delirio(錯乱、譫妄)」という言葉を使うようになった。
UOLサイトのコラムニスト、シコ・サウベス氏も8月6日付コラム《ボルソナロと彼の軍人らの譫妄は、現実のブラジルを錯乱に陥れる》(https://noticias.uol.com.br/colunas/chico-alves/2021/08/06/delirios-de-bolsonaro-e-seus-militares-deixam-brasil-real-a-deriva.htm)で《大統領は『印刷付き電子投票をしないと来年選挙をやらない』と言い張り続け、それが話題をさらっている。まだコロナ禍で毎日800人も死んでいるが、彼はデルタ株が拡散されつつあることなど心配していない。食品の価格が上がり、失業率も高止まりし、森林伐採も最悪の状態、外国人投資家も逃げだし、裁判所命令による政府支払いの遅延すら眼中にない》と批判した。
2018年来、ボルソナロ氏は現行の電子投票制度には不正があると言い続けてきた。それに対し、8月2日に選挙高裁が反撃に出た。(本紙8月4日付《選挙高裁 ボルソナロへの捜査求める=選挙不正の虚報拡散で=大統領選出馬禁止もあり?》(https://www.nikkeyshimbun.jp/2021/210804-11brasil.html)。
今までは、コロナ禍CPI対ボルソナロ、ルーラ対ボルソナロなどの対立構図が最も前面に立ってきたが、ステージが変った。これからは司法(最高裁、選挙高裁)対ボルソナロという構図が最も激しい攻防の舞台となる。今までとは完全に構図が変わった。
三権(司法、立法、行政=最高裁、連邦議会、連邦政府)が国家の意思決定を司っている。その中で、ボルソナロ氏の邦政府と、セントロンが牛耳る連邦議会に対してしびれをきらした、司法側の中でもバローゾ判事を長官に仰ぐ選挙高裁が反撃のノロシを上げたのが8月2日だ。その反撃に対して「filho da p…」と大統領はなじった。
司法VSボルソナロの対立激化
2日の司法からの反撃に対し、大統領は5日、「私は常に憲法の範囲内で行動するように心がけてきた。だが、司法が憲法の4行から逸脱した行為をするなら、私も同じことをするしかない」と宣言した。
ボルソナロ氏は、最高裁が自分をフェイクニュース捜査の被疑者にすることは「憲法を逸脱した行為」だと考えている。自分を被疑者にしたバローゾ判事とアレシャンドレ判事を「法衣を着た独裁者」と批判し、相手が「憲法を逸脱した」ら同じ様に対処すると極めて挑発的な宣言した。
そして、モラエス判事に「彼の番がきた」と何らかの反撃を加えることをほのめかした。大統領の「憲法を逸脱した行為」が何を意味するのか明確にはされていない。だがメディアの大半は、軍を背景にした動き(クーデターなど)を示唆していると見ている。
これは大統領が毎週木曜日に行っているネットライブ配信で、現行の電子票投票方式を印刷付きのそれに変えるように執拗に主張している件に関して、最高裁から「証拠を提出するように」と命令を受け、7月29日の配信で彼が証拠と思う内容が示された。
そこで「樹木に針灸を施す占星術師」アレクサンドレ・シュート(Alexandre Chut)氏の主張の焼き直しを述べるなど新しい内容はなく、ネット上では否定されたものばかりだった(本紙7月31日付《ボルソナロ「不正投票の証拠見せる!」=大見得切って「証拠なし」ただのネット情報羅列=政治家から抗議の嵐》https://www.nikkeyshimbun.jp/2021/210731-11brasil.html)。
2日、選挙高裁はボルソナロ氏に対し、二つの犯罪捜査を開始すると宣言した。一つは選挙高裁が裁くもので、自分のライブ配信を国営放送であるTVブラジルで放送するなど、公的報道機関を私的利用したなどの容疑で選挙法違反に問われている。これで有罪判決がでれば、来年の大統領選出馬ができなくなる。
もう一つが、選挙高裁から最高裁に要請され、モラエス判事が担当するフェイクニュース捜査に含まれることになった、「現行電子投票には不正がある」というニセ言説を執拗に繰り返した罪だ。つまり刑法違反。とくに7月29日のライブ配信の内容に焦点が当てられている。
民主主義の根本は選挙制度にあり、それを大統領が「やらない」と脅かす異常事態に対し、連邦議会が政治的に何もしないために、選挙高裁が司法の側から動かざるを得なくなった。
ボルソナロ氏は今まで、軍を抱き込み、連邦議会工作に対してはセントロンと組み、罷免審議を始める権限を握る下院議長を配下に治め、自分を告訴する権利を持つ唯一の役職である連邦検察庁長官を手なずけた。
だが、司法に対しては最高裁(判事11人)に自分の息のかかった人物を一人送り込んだのみ。もっとも大統領の意向が通じないのが司法界だ。そこからの反撃が8月から始まった。
フォーリャ紙8月5日付(https://www1.folha.uol.com.br/poder/2021/08/bolsonaro-insiste-em-ameaca-golpista-chama-moraes-de-ditatorial-e-diz-que-a-hora-dele-vai-chegar.shtml)によれば、「バローゾ判事は2022年大統領選挙でルーラを当選させる計画に参加している」とボルソナロ氏は考えており、《メディアに明らかに表現されているように、私を出馬できないようにする計画が進行している。もしもそれが実際に起き、私が何もしなければ、大統領はルーラに決まりだ》とまで語った。つまり「何かするゾ」と脅している。
それにして不思議なのは、印刷付き電子投票にしたらボルソナロ氏にとってどんなメリットがあるのか、誰にも分からない点だ。それをやったから来年の選挙で彼が有利になるとは思えない。
「どうして大したメリットにもならないことに、そんなに拘るのか」という点を説明するニュース解説者は、コラム子が調べる限り誰もいない。だから「大統領は錯乱している」と皆が感じ始めている。
ポルトガルの新聞がクーデターの可能性分析
ポルトガルの新聞ジアリオ・デ・ノチシアス(DN紙)6月14日付《ブラジルでボルソナロが「独裁を望んでいる」7つの兆候》(https://www.dn.pt/edicao-do-dia/14-jun-2021/sete-sinais-de-que-bolsonaro-quer-uma-ditadura-no-brasil-13823303.html)という記事をだした。
いわく《ジャイル・ボルソナロにはブラジルに独裁政権を樹立する目標があると、メディア、大学研究者、政治家らが信じるようになっている。彼は連邦議員としての長い経歴の中で、恥じることなく、つねに1964年から1985年の軍事独裁政権を礼讃してきた。だが今のところ、その目的を果たすのに十分な支援が得られていないと見られている》と書かれている。
Domtotalサイト6月11日付《マルコス・ノブレは「もしボルソナロが選挙で敗れたら、彼はクーデターを起こす」と見ている》(https://domtotal.com/super-dom/1169/2021/06/caso-bolsonaro-perca-a-eleicao-ele-vai-tentar-um-golpe-diz-marcos-nobre/)もおなじ方向性の記事だ。
マルコス・ノブレ氏はUnicamp(聖州立カンピーナス大学)の哲学科教授だ。ボルソナロ政権はワクチン接種が進んで経済が持ち直すことで支持を回復するが、政治敵や司法からの攻撃によってフラフラした状態で大統領選挙に臨むことになる見ている。
ノブレ氏いわく《もしもボルソナロが来年の選挙で負けたら、クーデターを試みる。私はその推論にまったく疑問の余地がない。彼を支持する軍の一部と治安部門(軍警など)、彼が武装を簡単にする法律を通したことで拳銃を手にした市民たちが立ち上がる。このような権威主義的な動きに対し、歴史的には、犯罪者集団の武装民兵が政治的親派グループの振りをして加わることは目に見えている》と警鐘を鳴らす。
前述のDN紙は《2020年2月、セアラー州では給与問題で地元の軍警がストライキを行っている間に、殺人件数が前年同月比で471%も増加した。大統領候補者シロ・ゴメスの弟シジ・ゴメスは、無理にスト中の軍警施設に入ろうとしてストライキ隊に2度も撃たれたほどだ。セアラー州政府にとって、この運動は「ボルソナロ氏に近い政治指導者に影響された」ものだった》と指摘されている。
つまり、これと似たような軍の一部や軍警による反乱に近い現象が、来年の選挙でボルソナロが負けた場合、各地で起きて市街戦化して治安がさらに悪化する可能性があると見ている。
この事件は本紙でも次のように報じた。本紙2020年2月27日《セアラー州の軍警スト続く=6日間の殺人犠牲者170人》(https://www.nikkeyshimbun.jp/2020/200227-23brasil.html)
本紙2020年2月21日付《シジ・ゴメス氏銃撃される=胸に2発も、命に別状なし=立てこもりスト警官に突撃、被弾=覆面警察待遇不満で暴徒化か》(https://www.nikkeyshimbun.jp/2020/200221-21brasil.html)
AI5発言、国防相解任も兆候か
さらにDN紙は、ボルソナロ氏に近い人物は、最高裁などの司法からの攻撃に対しては、以前からAI5を持ち出して鎮圧を仄めかしてきたことを挙げた。AI5はブラジルの軍事政権史上「最低の悪法」と呼ばれた「軍政令第5号」のこと。これによって連邦議会閉鎖、拷問の合法化などが行われた。
本紙2019年11月2日付《エドゥアルド下議「左翼が暴れたらAI5」=軍政タブーに触れ大問題に=下院では罷免求める声も=父ボルソナロ大統領も嘆く》(https://www.nikkeyshimbun.jp/2019/191102-21brasil.html)、本紙2019年11月27日付《ゲデス経済相=南米の民衆デモを批判=AI5擁護する発言も=大統領三男に引き続き=ドルは一気にワースト更新》(https://www.nikkeyshimbun.jp/2019/191127-21brasil.html)などがそれを例証する。
さらDN紙は、大統領が3月末にアゼベード・デ・シルバ国防相を解任したことも兆候として挙げた。同国防相は、大統領から「自分を擁護する発言をSNS上で配信してくれ」と頼まれ、軍は政治から中立であることを理由に断った。その結果解任され、同調した3軍総司令官も辞任した。
その後、後任に入ったのはみな親ボルソナロ派だ。そのためにブラガ・ネット現国防相が3軍総司令官のいる所で「印刷付き電子投票に制度に変えないと来年選挙はない」とクーデターをほのめかす伝言を発し、それをアルトゥール・リラ下院議長に伝えて連邦議会を脅すという事件が起きた。
たしかに軍の一部の親ボルソナロ派が〝暴走〟を始めた兆候に見える。
これに対して歴史家のマルコ・アントニオ・ビラ氏は《大統領はクーデターを企てるナチス・ファシストであり、30年間にわたって憲法を破る機会を伺ってきた。市民社会が迅速に対応するか、あるいは、彼が独裁体制を敷くかという瀬戸際だ。彼は内戦、ブラジル人同士の殺し合いを望んでいる》と厳しく指弾したとDN紙は報じた。
「来年の選挙でボルソナロを圧倒して、民主主義の力を見せるべき」
前述のノブレ氏は、民主主義勢力の団結こそがボルソナロ勢力を倒すことにつながると見ている。来年の大統領選の決選投票では、左派と非ボルソナロ勢力が団結して70%以上の投票を固める必要があるという。《民主主義を守ろうとする70%の人たちが同じ意思を持っていれば、誰もクーデターを起こすことはできない。だからこそ、70%は難しいが、それをやらねばならない》と力説する。
ただし現状では《左派が分裂している。PSOLは力の相関関係を変えるために即時弾劾を望んでいる。だがPTは、現在の勢力相関を維持して、2022年にボルソナロとルーラを対決させたいと考えている。
選挙では、ルシアノ・フッキのようなアウトサイダーの候補者が出る余地はない。なぜなら、その反体制的な場所を大統領がすでに占めているからだ。シロ・ゴメスは、ボルソナロ派ではない右翼の候補者としての地位を確立するためにルーラを攻撃している》とする。もう少し選挙が近づかないと具体的な図式は見えてこない。
とにかく、大統領のテンションの高さは異常なレベルにある。4日、セントロンのリーダーであるシロ・ノゲイラ氏が官房長官に就任する際の挨拶で、クーデターの脅威を和らげる「ショックアブソーバー(衝撃吸収装置、amortecedor)」の役割をすると宣言した。当面、セントロンが誇る〝熟練の裏工作〟に期待するしかない。(深)