7月28日午後、サンパウロ三田会はブラジル日本文化福祉協会(石川レナト会長)が運営する移民史料館(山下リジア運営委員長)に歴史的な史料一式、写真や報道記事などを寄付した。
当日には慶応義塾大学OB会「三田会」の林繁雄会長、長野昌幸氏(ながの・まさゆき)、大胡俊武(だいご・としたけ)氏、関根いつ子さんが文協ビルへ訪問し、史料館も見学した。
寄贈史料は1940年頃から現在に至るまでの同会に関する写真や新聞記事で、前会長である故関根隆範(せきね・たかのり)さんが集めたもの。未亡人いつ子さんが「私が持っていてもしょうがない」と三田会に託し、史料館に寄贈する事になった。
9月にブラジル三田会の名誉会長だった故・石井賢治さん、関根前会長の偲ぶ会をオンライン上での開催を予定しており、同会で使うもの以外を寄付している。
山下運営委員長は「私も見た事のない貴重な写真が多かったです。移民史料館では史料をもとに研究を行う部門もありますので、研究に活用させて頂きます」と史料の寄贈に対し感謝を表した。
林会長によると「三田会の会員は基本的に駐在員。昔は7割から8割が駐在員だったが、現在は9割。人数は100人を切って90人くらい」と説明し、「定年退職者には戻って欲しい」と冗談交じりに語った。
いつ子さんは「楽しみが少なかった昔には、三田会というとお弁当を持って家族総出で出かけていましたね」と振り返り、「太っ腹な人も多かったです。後宮さんはパラナに来た時は牛一頭つぶしてもてなしてくれました」と懐かしむ。
この後宮武雄さんは戦前、日本屈指の財閥を台湾に築いた後宮家の出身。慶応大学1年のとき北パラナに土地を買い、コーヒー5千本を植えた早熟の開拓者だった。一旦日本に戻った後宮氏は、大学3年のときに「全国美人投票」のミス日本を気に入り、強引に連絡をとって口説いて結婚。原始林だった北パラナにその新妻を連れていくなど、スケールの大きな開拓ロマンを体現した移民だった。
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ブラジル三田会では、同校医学部6年生が夏季休暇を利用して南米での医療活動や研究発表などを通じて国際交流や異文化理解を進める取り組み、国際医学研究会(IMF=International Medical Association)で来伯する学生の歓迎会等を行ってきた。40回以上続いていたが、20年・21年はコロナ禍で学生達が実際来伯することが叶わなかった。「来た頃はいかにも学生の面持ちだけど、1カ月するとすっかりお医者さんの顔になる」というだけに、学生にとって大変有意義なものになっているのが伺える。オンラインによる交流も盛んになっているが医療は人を診る職業柄、現場での体験は重要なはず。再び学生達が来伯できる環境になることを願うばかり。