ブラジルとの国境地帯、パラグアイ国アルトパラナ県に位置する南米最大級の日本人入植地「イグアス移住地」の約1割の土地を所有するUCC上島珈琲株式会社が、現地日本人会や農業組合に何の相談もなく、7月に突然ブラジル企業に売却し、現地に激震が走っている。売却したのは「CAYSA農場」(Compañía Agropecuaria Yguazú S.A. イグアス農牧株式会社)で、5730haの土地を使って3千頭の牛の飼育、畑のリースなどを行っている。折しもこの22日には記念すべき節目のイグアス移住地60周年を迎える。コロナ禍ゆえに式典はキャンセルされたが、墓地で慰霊祭のみ執り行う予定。地元では「寝耳に水。どうして日系人に売ってくれなかったのか」と残念がる声が上がっている。
「イグアス移住地」は1959年に日本とパラグアイ両政府の間に移住協定が結ばれ、JICA(国際協力事業団)がパラグアイ政府から土地を購入し、JICA直管移住地として設立されたという経緯がある。1980年には市に昇格し、「イグアス市」になった。
ただし、現地植民地法に基づき、パラグアイ人入植者も受入れ、現在ではブラジル人やスイス人、ドイツ人などの入植で多国籍な移住地になっている。2001年現在で日系人(イグアス日本人会会員)による土地所有の面積は、2万4227ha(移住地全体の約28%)となっている。
その28%の外の9%、5730haという広大な土地が今回ブラジル人に売却された。同市にはCAYSAと同規模の企業や農家は見当たらず、日系農家の大半は150haから500haの規模であり、日系人の存在感の低下を招くものと予想される。
7月27日午前、CAYSA農場にUCC社員がパラグアイ人弁護士を同伴して訪れ、突然、ブラジル企業サラビアグループへの売却を告げたという。同農場はずっと日本側の人物が取締役を務め、昨年6月から現地側日系人になった。その現地側に長年にわたる社会保障費の精算問題などを残したまま、撤退したという。
同農場は1968年に「南米開発株式会社」として官民一体で出資金を集めて営利優先ではなく「南米の発展のため」という高い志で設立されたという。UCCは1983~4年にCAYSAの株を取得して筆頭株主になっていた。
UCC上島珈琲株式会社の代表取締役会長、上島達司氏が、1988年から「神戸市・パラグアイ国名誉総領事(Consul General Honorario)」を務めており、なんども移住地に足を運んでいることから、13日に同社サイトのお問い合わせフォームから質問を送った。
それに対しUCCホールディングスのコーポレートコミュニケーション室から《弊社、子会社であったCAYSA(正式名称COMPAÑÍA AGROPECUARIA YGUAZÚ SOCIEDAD ANÓNIMA)は、パラグアイの企業グループであるサラビアグループに売却いたしました。なお、これ以上の詳細の公表は控えておりますが、適切な手順で売却いたしております。ご理解賜りますようお願い申し上げます》との返答があった。
「日系人に売ってほしかった」=道義的責任を問う声続々と
パラグアイ大統領顧問(日本政府機関・企業対パラグアイ投資関係、元駐日特命全権大使)の田岡功氏に電話でコメントを求めると、「片方の側からの声だけではキチンとしたことはいえない」「民間企業の取引だからダメではない」と前置きしながらも、「日系人が同等の金額を払えるかどうかは分からない。だが売却契約をする前に、地元農協や日系人に呼びかけるなど声をかけてほしかった」と残念そうに語った。
さらに「日系人移住地の中の広大な土地だから、できれば日系人に売ってほしかった」と語り、過去に日系企業が同移住地から撤退した2例を挙げた。
一つは、CAYSAと同規模の牧場経営をしていた湘南観光開発株式会社(CAOSA)で、撤退の際には適正な従業員精算を行い、地元の日系農業組合に格安に売却し、組合が購入希望の組合員に分譲した。
もう一つは箱根植木株式会社(CRYSA)で広大な土地を持っていたが、従業員に適正な精算をして農地を日系人に格安で売却した。
同移住地住民に電話で訪ねたところ、「そりゃ不安になりますよ。なにせ広い土地ですから。日本進出企業で残っていたのはUCCだけだったのに。撤退の仕方として企業倫理的にどうなんでしょうか」、他にも「寝耳に水…。みんなショックを受けます。株式の売買だから企業の自由かもしれないが、場所が場所だけに移住地をまったく無視して行動することは好ましくない。どうして日系人が土地を買えるように交渉をしてもらえなかったのか」などの地元との友好関係や道義的な責任を口にする声が続々と聞こえた。