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キノコ雑考=ブラジルに於けるキノコ栽培の史実とその背景=元JAIDO及びJICA 農水産専門家 野澤 弘司 (13)

隆盛期;1963〜2005年

 台湾系移民誘致によるキノコ村創設と増産体制確立。
*)1963年;私は菌床材料の草刈り作業中、朽ち果てた倒木の根元の蟻の巣の周辺に自生したヒラタケの見事な群生に遭遇した。蟻の巣の何かの成分がキノコの発生促進に関与しているものと直感し、蟻の巣を煮詰めたエキスを種菌培養の寒天培地に調合試用した。
 結果は菌糸の繁殖がすこぶる旺盛だった。その後は寒天培地の窒素源となるペプトンの代替調剤として蟻の巣のエキスを常用する事にした。蟻には蜂に劣らぬ薬効の「何か」が潜在している。                                    *)1964年;ブラジルのマッシュルーム栽培が漸次社会の脚光を浴びるにつれ、個々の零細な副業的規模ではなく先進国並みに近郊農業の確固たる独立農業部門に発展させる思いは募った。それには更なる生産と需要の拡大を図ることが基本条件となるので、モジ近郊の日系旧移民の農業者に期待したが、勤勉と信用を根底に築かれた果実、野菜、花卉、養鶏、養豚等安定した近郊農業を営んでいるので、年中無休の過酷な肉体労働が強いられた当時の機械化されていないキノコ栽培は、マイノリテーのジャポンノーボで占めていた。
 そこで当時の台湾の社会情勢に着眼し下記の事由と手順による、台湾系移民をキノコ栽培事業に誘致を企画した。
1)台湾出身者は日系人にも勝る質実剛健、勤勉、相互扶助の精神に富む国民性を有している。
2)当時の台湾は政情不安でアメリカやカナダへの先進国移民と、他はブラジルとパラグアイへと二分されての移民が脚光を浴び始めた社会情勢下にあり、日系人との友好の絆も強かった。
3)当時の台湾のキノコ栽培は、既に日本同様の高度な栽培技術を駆使し活況を呈していた。
4)ブラジルと台湾との国交締結は無く、移民枠も無く永住者の入国規制が法的に寛容だった。
5)移民に要する諸経費は全額自己負担で、万事が自己責任を伴う一般旅行者扱いだった。
6)私の種菌の顧客である黄キロウと、台北在住の実弟より移民誘致事業の協力が得られた。かかる社会的状況下にあって台湾からの移民誘致は、全く素人の我々が次の手順で実施した。
6−1)先ず黄の実弟が台北の松山空港近くで自営する薬局の片隅に、ブラジル移住斡旋所を開設し移住者を募った。3ヶ月間で約50家族の応募者を一次選考の結果内定した。
6−2)台湾では移住必要書類の記載、パスポート取得、公的機関での身体検査を行った。
6−3)応募者の多くは商業志望だったので、キノコ栽培の農業を必須条件として説得した。
6−4)先ず入国が簡易なブラジルに移住して、機会を見てアメリカやカナダへ延伸移住の志望者も数家族いたのでブラジルに定着を説得して、最終的には40家族の誘致を内定した。
6−5)台湾はブラジルとの国交は無く、当時は領事館に相当する駐外館処は、サンパウロ市内の9 de Julio大通りのトンネル際の台湾貿易公司の事務所で領事業務を代行していた。
6−6)台湾から送付された移民申請書と写真とサンパウロでの申請書と合計10通余りを、1通当たりU$5〜U$8の書類認証と司法書士の手数料を支払い、移民申請手続きは完了した。