「ワクチンや薬のように直接的な効果はないかもしれませんが、人々の心を潤し、生きる力を与えてくれます。私は俳人の一人として俳句の力、言葉の力を信じています」――現代俳人のひとり、黛まどかさんは俳句型や精神について説明したあと、そう力強く述べて締めくくった。在聖総領事館主催による俳句の講演会が7月27日、8月18日には参加者の投句のワークショップが行われた。同館によると1回目は339人、2回目は299人が視聴した。
27日には黛さんによるポルトガル語字幕付きの講演「Haicai~その余白に漂うもの~」と、サンパウロ州立大学で日本の伝統詩文学を研究して博士号をとったナカエマ・オリヴィアさんによるポ語作句についてのポ語講演が行われた。俳句の成立ちや575の『型』、季語を用いる『有季』、言い切る『切れ』の基本ルールなどのほか、俳句の精神も説明した。
黛さんは、17音で表現する世界最小の文学とされる俳句では「余白」が大事になってくると強調した。「生の思いや思想はものや風景に託し、とにかく引いて引いてそぎ落として表現します」と極意を説明した。
黛さんは一例として、自身が感銘をうけた句として杉田久女の「花衣脱ぐやまつはる紐いろいろ」を挙げ、句から見える情景や「余白」について説明していった。
一見すると夜に花見を終えて着物を脱ぎ、色とりどりの帯が広がる中に女性が佇むという艶やかな美しい情景が浮かんでくる句だが、黛さんは「嘆きの句」であると解説した。
当時、久女は才能があっても活躍を認められていない状態だった。家庭内でも「女性が俳句をするなんて」と非難され、1冊の句集すら出すことなく亡くなる。その背景から、「紐いろいろ」は当時の女性を縛る様々な社会的な枷を喩えていると解釈した。
「美しいものに託す事で心は浄化され昇華されます。久女の想いも一個人をつき抜けて、当時の普遍的な女性の心の叫びとして、私達読者に時代をこえて胸を打つものになっていると思います」と黛さんは説明した。
さらに黛さんは、俳句の精神について「俳句は挨拶」と説明。俳句となる以前、連歌の発句だった頃は集った人やその場、季節に挨拶をするというのがルールにあり、それが引き継がれているという。また「俳句を詠む事で双方向の関係となり、命と命の交換が生まれます。自然と他者の命を尊び、自分の命と向き合う機会になります」と俳句に込められた精神性を説明した。
このような自然を尊び、引き算を知り足るを知る、余白を察するという俳句の理念は「環境問題や紛争・人種差別などの諸問題への解決の糸口に成りえる」と黛さんは考えており、「日本には『足るを知る』という言葉があります。欲望からはさらなる欲望が生まれるだけで、決して充足感は生まない。これからは引き算が重要となってくる」と締めくくった。
ワークショップ=ポ語俳句に込められた想い探る=「平和が句の後ろに隠れている」
8月18日のワークショップでは、1回目の講演会の後で参加者から募った「イペー」を季語とした日ポ両語の作句12句が選句され、講評が行われた。うち日本語では次の2句が選ばれた。
一句は林とみよさんの「紀の里にイペー咲かせる願ひかな」が選句された。講評で黛さんは「下五の『かな』の切れによって作者の切なる想いが伝わってきます。日系人の想いの句ですね」としみじみと感じ入る様子で述べた。
2句目は宮川信之さんの「空色に滲むことなき黄イッペー」が選ばれた。「『滲むことなき』の黄色の鮮やかさと、生命力、作者の方のブラジルへの敬意がよく現れていると感じました」と黛さんはコメントを寄せた。
また、ポ語作句の中には一世の父を描いた「Livro em Japonês-Sob o ipê-amarelo o meu ditchan lê.(意訳:黄イッペーの下でジッチャンが日本語の本を読む)」という近藤アンドレさんの句が取り上げられた。
近藤さんは「父はブラジルに長年住み愛しながらも、日本を決して忘れなかった。日本語で読書をする事で、心の中の日本をなぞっていたのだと思う」との作句の背景を説明し、イペーを桜の木になぞらえる幻の中で両国の春を過ごしているというイメージを込めているという。
黛さんは「ジッチャンをそのまま日本語で使っているので、よりリアリティがあります。日系人の方でなければ無い発想ですね。二つの国が溶け合って抱きあっている、どちらの国も祖国であるという平和の心が句の後ろ側に隠されている様に思いました」と評した。
全ての句評の後、黛さんは総評として「その花を実際知らない、地球の反対側にいる私にその花の素晴らしさをしっかり伝えている。それは正に皆さんの表現の素晴らしさです。詩情の素晴らしさです」と称えた。
ポ語作句についての講演を担当したナカエマさんは「選句の12句以外にも美しい作品がありました。ブラジルの俳句は移民の方々がもたらしたものですが、ポルトガル語で詠まれる事も多い。今も250人が視聴しており、ブラジル人がどれだけ俳諧が好きか分ります」と頷いた。