24日に東京パラリンピック(パラ五輪)が始まり、ブラジルは25日に水泳男子100メートル・バタフライでガブリエル・バンデイラが金、同背泳でガブリエル・ジェラルド・アラウージョが銀など、メダル4個を獲得。パラ五輪でのブラジルの金は98個に増えた。
開会式や競技の様子はほんの一部しか見ていない。だが、地道な努力を重ねた選手達が各々の思いを胸に競技に臨む様子や、彼らに寄り添う伴走者らの姿を見て、NHKの番組の中で、パラ五輪に関する啓蒙活動をしている元選手がパラ五輪の目的は「全てを包み込むインクルーシブな社会を作る事」と語った事を思い出した。
番組では、リオ五輪にも出場したパラ選手が、「障害はその人の体にあるのではなく、社会が作り出しているもの」と語る様子や、両腕のない男子生徒が普通校で級友達の理解や尊敬を得ていく様子も伝えていた。私達の周囲には様々な違いがあるが、違いがある事を認め、互いを尊重、尊敬する時、新たな世界観や価値観が広がるのだ。
そのような意味で、ブラジルのミルトン・リベイロ教育相が19日、公立校には130万人の障害児がおり、内12%は一緒に暮らすのは不可能なほどの障害を持っているから特別教室を作っているとした後、「障害児は他の生徒の学習を妨げる」と語った時は、怒りで言葉が出なかった。
むろん、日本を始め世界の多くの国で特別教室がある。だが、現役教育相が特別教室を作る理由として「障害児は他の生徒の学習を妨げるから」と公言するのは聞いた事がない。
この発言は同相が行った最新の問題発言で、発言直後には諸方面から、「職責に相応しくない」との批判が相次いだ。このような発言は、一国の教育界のトップとしては歪んだ価値観の持ち主と言われても仕方がない。
障害を乗り越えて生きる、または生きようとする人々の能力や彼らがもたらす喜び、希望は計り知れない。多人種、多文化の国は様々な意味で豊かになるのと同様、肉体的、精神的な違いのある人達がいる社会はより豊かになると考える事はできないだろうか。
前述のリオ大会にも出た選手は25日、「パラスポーツがただのスポーツになってほしい」とも語った。「全てを包み込む社会を作る事」は、パラ五輪だけでなく、全ての社会の目的でなければと思わされる。 (み)