衰退期;2006年以降
シメジ(ヒラタケ)の台頭によるマッシュルームの衰退。
*)2000年代初期;当時のマッシュルーム栽培者の多くは、1972年頃よりアガリクス栽培導入と共に両種を併行して栽培したが、下記の事由によりマッシュルーム栽培は衰退した。
1)イタリア人のワゾーニ(カブリウーヴァ在住)は、アメリカから種菌を取り寄せ栽培したヒラタケの前駆体がシメジに酷似していたので、商品名をシメジとして発売した。当初の売れ行きは芳しくなかったが“香りマツタケ、味シメジ”とは言えないが、シメジの方が多くのブラジル料理に適合し利用範囲も広く、安価で日保ちも良い利点でシメジは市場を席巻した。
2)アガリクスは全てが輸出され利益率は高く、内需向けマッシュルームとは大差があった。
3)中国産の安価なブライン漬けマッシュルームが輸入され、国産品の流通は抑制された。
《参考データー》*2005年の国別キノコ類の生産量、( )は2016年 単位:万トン
アメリカ;37(42)、オランダ;25(30)、フランス;17(10)、スペイン;17(15)、 ポーランド;14, イギリス;8(9),ドイツ;7(7)、オーストラリア;6、日本;4(13)、中国;2(750)、ニュージーランド;1、ブラジル;0、45、ポルトガル;0、1、カナダ;(14)、インド;(7)(FAOSTAAT)
アガリクス編 はじめに
「ブラジル生まれの日本育ち」のアガリクス茸は、1963年に古本がサンパウロ近郊の寒村で名もないキノコと出会い、後日、ベルギーの植物学者ハイネマンよりAgaricus blazei murrillと同定され、その薬効が抗癌剤及び生活習慣病予防薬として内外の医薬研究機関で認証されました。
これより1970年〜2006年初頭に至る約35年間に及びサプリメント業界を席巻し、稀代の年商600億円を記録した前代未聞の天然医薬品として、ブラジル、パラグアイ、中国、日本の栽培と流通業界にもたらした経済効果は莫大でした。アメリカのレーガン大統領がアガリクスを癌治療薬として服用し一躍脚光を浴びました。
しかし2006年に日本の厚生労働省と医薬関連業者との謀略により抗癌剤が瞬時にして発癌剤に豹変させられた苛酷な風評被害に遭遇し、アガリクスの生産と流通は敢え無く終焉を迎えました。
一方、私はブラジルのキノコ栽培の先覚者古本との格別な親交により、波乱万丈の彼の人生と共にアガリクス関連の終始一貫した貴重な史実にもつぶさに接し、体得する事ができました。
これよりアガリクスの史実をマッシュルーム同様、胎動期、揺籃期、隆盛期、衰退期と区分し、古本の在りし日々を偲びながら数々の偉業を辿りたく思います。