今後の「Pos継承日本語教育」を行う日本語学校の栄衰を大きく左右するカギとして重要なのは、次の2点が特に考えられます。
1つ目は、日本語学校に関わる人たちのエネルギー総量(保護者会や文協の協力体制・熱意・献身性など)。教育は物を売ってお金を稼ぐ商売ではないので、多く人達の協力・理解があってこそ成り立つ。
2つ目は、日本語学校の存在意義・特徴の確立、そして多くの市民への認知。日系子弟だから」「文協の会員の家族だから」という理由で、子どもが自然に日本語学校に入っていた時代は20世紀にはすでに終わっています。
非日系の子どもも通い、英語や水泳やその他様々な習い事の選択肢がある中、日本語学校を選んで入れてもらうためには、入れてもらうだけの価値を感じてもらわなければいけません。
これまでのような「日本語や日本文化を教えて、日本のような礼儀を教えています」では漠然とし過ぎていて、数ある習い事の選択肢の中から選んでもらいにくい時代です。
日本語学校に通ったことのない保護者が大半を占めるであろう現在であれば、その日本語学校の活動や意義や価値を知らないのは当たり前なのです。その日本語学校の活動・教育についてもっと具体的に紹介し、様々な媒体を使ってもっと広く宣伝する必要があります。
しかし、その前にまず「その日本語学校の売り・特徴」をしっかりと作り出す、あるいは確固たるものにすることが重要です。
どれだけ大々的に宣伝しても、その中身が期待通りのものでなければ、例え一時は生徒数が増えても、次第に生徒数は減っていき、その不評が広がると、その後日本語学校に生徒を取り戻すのは困難になってしまいます。
「日本語学校の理念・ビジョンを掲げ、それに向かいつつ、様々な手段を使ってそれを広報し多くの市民に認知してもらう」――これで事態が必ず好転するとは断言はできません。ですが、日本における各種習いものでは、どこでも行っている極当たり前のことです。ですが、ブラジルの多くの日系団体運営の日本語学校で欠けていたものでもあります。
パンデミック以前から取り組む必要があることだったと思いますが、パンデミック前後で状況が大きく変わる可能性が高い今、日本語教師はもちろん、保護者会や文協などが一体となって、これまで行ってきた教育・活動をもとに「パンデミック後どういった日本語学校を目指すのか」の話し合いを始めなければ(または考えなければ)いけないことだと思います。
パンデミックが収束してから、「さあこれからどうしようか」と考えては手遅れになる恐れがあります。何事においても想定しておいて、その対策をしたり先手を打ったりすることが結果を大きく変えます。(続く)