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キノコ雑考=ブラジルに於けるキノコ栽培の史実とその背景=元JAIDO及びJICA 農水産専門家 野澤 弘司 (20)

*)1985年1月;橋本先生から古本へのメッセージが邦字紙に掲載された。(巻末参照)
*)1986年;岩出研究所は日本癌学会や三重大学等の医薬研究機関にて高度な薬理効果が認証されるや、アガリクスとは異種異質の「岩出101号菌株」を生生し、これより発茸したキノコの商品名を「姫松茸」と命名し、商標特許を出願した。その出願文書の原本分類は、「商標広報第32類 商標出願広告 昭61−4698、1986年1月21日広告」である。
*)古本は名も無いキノコの同定を岩出に依頼するに当たり、日本のキノコ学界最高の権威者として尊敬と信頼を託して、遥々地球の裏側から期待を込めて送付したが為に、岩出はこの名も無いキノコの姿形を初めて知ったはずである。
 にも拘らず、名誉欲や自己顕示欲に耽溺してか、出願に至る迄の経緯はどうあろうとも、同胞古本を差し置いてブラジル産原種から「岩出101号株」を経て生生させたキノコを「姫松茸」と命名して特許出願し,「姫松茸 発祥の地」との記念碑まで建立したストーリーは、状況によってはパクリ行為とも解釈され、学究者にはあるまじき姑息な由々しき手段での同士討ちの特許出願であったかとも思われる。
 想定に絶する椿事であったが古本は既に闘病中でかかる非行に対して反駁する事は心身共に不可能であった。また古本は日本の法制度に疎く問題解決の委任弁護士すら知らず、提訴や弁護士料の金策も不可能で諦めざるを得なかった。岩出研究所の破廉恥な行為に対し橋本植物分類学者や「アガリクス茸全書」の著者、水野静岡大学農学部教授も猛反駁した。当時私は毎年春に東京のビックサイトで開催される健康食品展での見学が年中行事の楽しみだった。
 しかし同研究所は展示会場の場外に別途ブースを特設し、キノコの専門家にしか理解できない「姫松茸とアガリクスの相違点」の系統図の如き資料を並べ立て真しやかに弁明していた。
 もしも「岩出101号菌株」から「姫松茸」に至る一連の経緯が菌類学的に、また古本との人間関係上妥当ならわざわざ経費をかけての弁明は不要と思う。更に往時は姫松茸とブラジル産アガリクスとは異種異質である事を強調し一線を引いていたにも拘ず、傘下の販売会社は今やブラジルやパラグアイ産のアガリクス=姫松茸と見做すが如き魂胆は理解に苦しむ。
*)1987年;古本逝去、享年71歳、古本は体調を損ねた常識を逸した経緯を、生前私に言葉少なに語った。またキノコの研究に没頭の余りの愛娘との哀話は忍び難いものであった。
 アガリクスの発見者として業界への華麗な貢献と、名誉に満ちた達成感を満喫する間も無く、キノコに魅せられ、キノコと共に逝った古本の生涯は、およそ里山でキノコの妖精に囲まれたお伽の国での研究生活とは程遠い、不運と苦難に満ちた棘の道を辿られた生涯だった。合掌
 古来“医者は一生に1万人の患者を治すが、生薬一つを発見すれば100万人が救われる”との至言に、古本は果敢に挑み実証し、業界には数々の偉業と有意義な伝承を残してくれた。
*)2000年;野澤はアガリクスの想定外の市場席巻に対し日本の業界誌から、ブラジルに於けるアガリクスの栽培状況についての手記を依頼された。これより巻頭言として植物分類学者の橋本先生に依頼した私の人物評を、当寄稿文の巻末に添付したので参照されたい。