ボルソナロ大統領が最高裁の判断を不服として戦い、9月7日の独立記念日を自身の支持派の立ち上がる日として位置付けた。だが、肝心の支持者の参加数が少なく、自身に対しての罷免を要求する声を政界内で高めるだけになってしまった感がある。
ボルソナロ氏がきわめて独裁政治家的な資質を持ちながら、思うがままに独裁ができない理由にこの最高裁の存在がある。そして、ボルソナロ氏自身が高く評価していたベネズエラのウゴ・チャベス元大統領との決定的な違いでもある。
チャベス氏の独裁を可能にしたのは、最高裁を意のままに操った手腕にある。2003年、政権を握って5年目のチャベス氏は20人いた最高裁判事に、味方を送り込んで32人に増やした。チャベス氏、ならびに「チャビズモ」の支持者たちにとっては、これが功を奏した。最高裁を味方につけたチャベス氏は議会で自身に不利な法案を通過されても、最高裁がそれに対して「違憲」などと難癖をつけることではねのけて来た。
それは、チャベス氏後任のマドゥーロ氏の政権下でさらに生きた。2015年の議会選挙でマドゥーロ派は大敗を喫したが、チャベス氏時代の最高裁判事たちが野党議会の法案を次々と無効にし続けた。そうしているうちにマドゥーロ氏は「制憲議会」なる並行議会を作ることで議会そのものを無効化。独裁制をさらに強めることとなった。
現在のボルソナロ氏からしたら、こうしたベネズエラの状況はうらやましい限りかもしれない。事実、ボルソナロ氏は大統領選の際、「最高裁判事の増加」を希望する発言も行っていた。だが、それはできなかった。
なぜか。それはボルソナロ氏の支持者がチャベス氏を軽蔑していたためだ。彼らにとってみれば、チャベス氏はにっくきルーラ氏の仲間で南米左派のボス的存在。チャベス氏やルーラ氏は彼らにとっては「腐敗政治」の象徴で、ボルソナロ氏はそれを打倒する「正義」の存在。そんな人がチャベス氏の真似をするのは許せなかったであろう。
それに加えて、ボルソナロ氏の当選時の支持率が議会での憲法改正を可能にするほど高くなかった。あのときに、チャベス氏の国内人気レベルの支持があれば可能であっただろう。だが、ボルソナロ氏には議会での票集め交渉は最も苦手とするところ。最も支持率が高かった時期ですら、最高裁判事増員の憲法改正を実現できたとは思えない。
加えて今や、支持率が30%に届かず、不支持率はその倍もある状況だ。「最高裁をなんとかしたい」などと言っても「民主主義を脅かす」と恐れられるだけ。もっとも「ネット犯罪者捜査」で逮捕されている支持者たちの言動の幼稚さから、ボルソナロ氏に同情したい人も多くはないだろう。
コロナ死者が世界2位の60万人目前である現状から、国民としても「もし最高裁がコロナ対策を州や市にまかせず、大統領に任せていたら、一体何人この世を去っていたんだ」と考えると、最高裁に軍配をあげたくなる人は多いだろう。(陽)