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キノコ雑考=ブラジルに於けるキノコ栽培の史実とその背景=元JAIDO及びJICA 農水産専門家 野澤 弘司 (22)

 各議題の審議の結果はどのように議決されたかは知る由も無いが、アガリクスの生産も流通も既に破局を迎え、誰も観客の居ない舞台で今更一体誰に向けて、また何の為に反応の無い決議事項を披露したのか、単に世間体を憚っただけの馬鹿げた無為な協議会の一幕であった。
*)反面、かかる重大事に至ってもブラジルの生産者を代表して、日本の関連機関と対等な立場で情報交換や問題解決を取り交わす組織が存在しない事は誠に遺憾であった。昨今日本政府は種苗法なる法制度を改定しているので、今後キノコの新品種や改良種の導入や輸出業務、またブラジル国内でのキノコの生産と流通に関する統計上の公的数値の掌握の為にも、後継者にはアガリクス事業の再興を期し、仮称「ブラジル・キノコ生産者協会」の設立を嘱望する。
*)これよりアガリクスの生産と流通に直接間接的に従事していた、ブラジル、パラグアイ、日本での約4000人が失職、転職、破産、日本への出稼ぎを余儀なくされる惨事を招き、戦後移住の多い栽培者の培った生活基盤は、夢半ばにして瞬時にして奈落の底に崩落した。
*)最盛期の間接業者を除く、アガリクス栽培業者概数と日本での流通業者概数;(推定)
 日系 150、台湾系 40、ブラジル系 40、パラグアイ系 30、日本(流通) 200。
*)苦節40年にして事業を軌道に乗せ、世代も変わった台湾系のキノコ村では、10数家族がキノコ栽培と種菌作りを継続し、また蔬菜作りや商業に転職している。村の創設発起人としての不可抗力は痛恨の極みだった。
*)2009年7月3日; 厚労省はその後のアガリクス製品からは有害物質は発出してない旨、都道府県知事に通達した。アガリクスの抗癌作用を一瞬にして発癌作用に豹変させた厚労省の公示から3年半も経過して、関係者のほとぼりが冷めた頃を見計らってか、中国産原料の使用を止めたら問題は解消した事は立証されたが、3年半も前に当件は既に告示できたはずである。
 何はともあれ一度失墜した信用の復元は、言葉や文字で無く時間の風化に委ねるほかなかった。*)もし中国産の原料アガリクスだけに有害物質が検出され、ブラジルやパラグアイ産は潔白だと当時既に判明していた周知の事実の一言を厚労省が公示していたら、キノコ業界の史実は大分様変りして、アガリクス業界では億万長者が輩出してキノコ御殿が至る所に建てられたのも夢ではなかった。
 かく云う私も自己資金によるアンデス山塊からアマゾン源流にかけての生薬と油糧植物の宝庫の開発事業、及びパラグアイに於けるモヤシ用緑豆の栽培、さらには本命のプロポリス生産に復帰を企画し、起業への準備に入った矢先で当惨事に遭遇し全ての計画は水泡に帰した。
 しがない移民が丹精込めて30年余りの歳月を費やし軌道に乗せた、規模は小さいが移民史上稀な成功事例であったキノコ栽培事業を、心ない日本の医薬業者や中央官庁の官僚等による同士討ちの憂き目に遭遇した往時を回顧しても、何らの解決策を講ずる事ができなかった、無力な移民の悲哀やもどかしさを禁じえない。
 当該一連の不祥事の顛末を文字に託し、より敢然な寄稿文となったのは心許ないが、執筆するほどに無念さが新たに蘇り、不本意ながらかなり執拗な文言となった事をご容赦いただきたい。