ブラジル経済の天国と地獄
先週「ブラジル経済の天国と地獄」を象徴する報道が立て続けに行われ、めまいを感じた。
まず一つ目は3日、世界の大物政治家や企業家、有名人が租税回避地にあるオフショア企業を介して脱税などを試みていた疑惑を伝える「パンドラ文書」が公表され、ブラジルのパウロ・ゲデス経済相、ロベルト・カンポス・ネット中央銀行総裁の名前が出てきたことだ(https://www.nikkeyshimbun.jp/2021/211005-11brasil.html)。
二人とも伯国経済のど真ん中にいる人物だけに、注目を集めている。
なかでもゲデス財相は2014年にヴァージン諸島にオフショア会社を創設。その後ニューヨークにあるスイス系の銀行にオフショアの口座を開き、955万ドル(約10億7千万円)を入金したという。
オフショア会社や口座を持っているだけでは、連邦国税庁や中央銀行に届け出が行われている限り、違法ではない。
だが、連邦上級行政官の行動規範(Código de Conduta da Alta Administração Federal)の第5条では、公務員として為替・金融政策や経済政策を作る側におり、それが株価や為替に影響を与える立場にあり、その特権情報を使ってインサイダー取引を行って利益を得ることは違法であり、予防的にその種の会社経営から手を引くことなどが義務付けられる。
ゲデス氏は、「すべてただの雑音にすぎない。2019年1月の経済相就任と同時に国外口座に関する情報を公的倫理委員会に申請した」と全面的に否定している。
カンポス・ネット中銀総裁も、総裁就任15カ月後にようやくオフショア企業を閉鎖したことが判明した。同総裁はこれに関し、「法律に従い、口座は使っていない」と主張している。
この件と好対照だと感じるもう一つの記事は、10月8日付G1サイト《聖市セントロの市場の生ゴミ捨て場に廃棄された骨をあさる人々》(https://g1.globo.com/sp/sao-paulo/noticia/2021/10/08/pessoas-buscam-ossos-de-carne-na-cacamba-de-descarte-do-mercadao-centro-de-sp.ghtml)だ。
《市営市場の従業員によると、この生ゴミ捨て場には、以前からホームレスの人たちが捨てられた食べ物を求めてやって来ていたが、パンデミックによる危機的状況の中で、住居持ちだが困難な状況にある人も現れ始めている》という傾向が出てきたという。
同様のことはCEAGESP(サンパウロ州食糧配給センター)でも起きている。《アントニア・ダ・シルバさん(60歳)とエディレーネ・デ・ジーザスさん(32歳)の「肉を買うのは不可能なので、家族のために果物や野菜を探してここに来ました。買えるのは卵と挽肉だけぐらい」》というコメントが記されていた。
実際、昨年中頃から物価の値上がりが酷い。スーパーで棚の商品を見るたび「また値上がりした」「値段は一緒だが、内容量が少なくなった」とため息が出る。
この二つの記事は、ブラジルに巣くうインフレの裏表だ。現在のブラジルが直面する問題を如実に表している。
貧困層は富裕層の2倍インフレの影響を受ける
ブラジル経済の奥深くにはインフレという魔物が常にうごめいている。これがやっかいなのは富裕層にはある程度回避手段があるが、貧困層ほど直撃を受ける点だ。
9月14日付G1サイト記事《最貧層のインフレ率は最富裕層の2倍と応用経済研究所(IPEA)が発表》(https://g1.globo.com/economia/noticia/2020/09/14/inflacao-dos-mais-pobres-tem-alta-duas-vezes-maior-que-a-dos-mais-ricos-em-12-meses-diz-ipea.ghtml)と報じた。
インフレ率の所得層別の変動は、所得が月1650レアルまでの家庭では3・2%であったのに対し、月1万6500レアル以上の購買力の高い家庭では1・5%だけだった。言い換えれば、公式なインフレ率が10%だとしたら、貧乏人のそれは20%だ。
銀行口座すら持てず、現金しか使わない貧困層には、インフレ回避策などないに等しい。ここ最近、「月末の給与をもらって1週間以内に1カ月分の生活必需品をまとめ買いする」というハイパーインフレ時代の習慣が戻りつつあるとの報道を目にした。
レアルの価値は、国内的にはインフレで下落し、国際的には対ドル為替レートで下がっている。これを加速したのはパンデミックだ。
レアルの価値が下がれば輸入品の価格は上がり、国際価格の大豆、肉類、石油、ガスなども国内で値上がりする。
インフレの影響を特に受けているのは、ガソリンやディーゼル油といった燃料関係。これが上がるとエネルギーや物流コストに影響し、全ての物価が上がる。
その結果、食品価格も急騰しているから、生ゴミあさりをせざるを得ない人が出てくる。レアル下落で家庭用ガスは9月だけで3・91%値上がり、12カ月間の累積だと35%の値上がりだ。
なぜこんなにインフレが上がり、レアルが下がったかと言えば、世界的な原油価格高騰や中国経済の減速に加えて、中央銀行が手を抜いた(?)と指摘する声も強い。中央銀行の役割は「物価と金融システムの安定」であり、そのためのインフレ対策の切り札であるSelicを独断的に決める権限を持っているのに、適切なタイミングで上げてこなかったとの声が強まっている。
自分の現金資産が毎年1割ずつ目減りする現実
自分の現金資産や給与が毎年1割ずつ目減りする現実が、経済が安定した先進国で生活している人にリアルに想像できるだろうか。
地理統計院(IBGE)は8日、9月のインフレ率(広範囲消費者物価指数=IPCA)を、レアルプラン開始直後の1994年9月以降で過去最悪の数字、1・16%と発表した。直近12カ月間の累積なら10・25%だ(https://www.nikkeyshimbun.jp/2021/211009-13brasil.html)。
これは、文字通りのインフレの意味である「物価が上がる」と言うより、体感としては「収入や資産の価値が下がる」感じだ。
もし毎月1万レアルの給与をもらっていたら、1年後には9千レアル分の価値しかない。それだけしかモノが買えなくなる。調整ナシで、それが5年続けば5900レアル分の価値しかなくなる。「給与のインフレ調整」があっても、常にインフレより下にしか行われない。インフレだとどんどん給与の実質的な価値が下がる。
しかも、ブラジルの場合、対ドルの為替がどんどん落ちている。5年前、2016年10月9日には3・196レアル/ドルだったが、今月8日には一時的に5・532レアル/ドルになった。つまり、貨幣価値が73%も価値が下がった。昨年だけで20%以上も下がっている。
このレアル下落による資産価値の減少を避けるために一番良いのは、国外でドル資産を保有することだ。それをやっているのが経済界・金融界を代表する二人だ。
事実、ゲデス財相が2014年にオフショア口座に入れた955万ドルは、当時の値打ちとして2300万レアルだったが、現在は5100万レアルになっていると報道されている。レアル安で目減りどころか、レアル換算では2倍以上に増やしている。拍手喝采、すばらしい財テクだ。
それに、国内なら税金を上げられる恐れもあるが、外国のオフショアだから税金も安い。インフレと為替下落、高税率というブラジルの脆弱な部分を良く知っている二人だから、むしろそれを活用して「一番賢い資産運用方法」を個人的に実践しているように見える。
同時に、為政者側の視点からすれば、インフレには「政府負債を減らす」メリットがある。どんどん国債を発行して借金を作っても、それが国内通貨の債券である限りはインフレで価値を減らしていく。
庶民にとってインフレは最悪の状態だが、富裕層や政府にとってむしろ望ましい部分があり、それが起きることを前提に資産管理を最初からしている。インフレを「天国」と感じる人々といえるかもしれない。
「Selicを10%以上に」という声も
中産階級であれば銀行の各種預金や投資、証券会社の金融商品、ドル建て証券、チゾウロ・ジレットなどを使って、インフレの悪影響を多少なりとも補填できる。
だが、カンポス中銀総裁/ゲデス財相のペアになってからは、先進国の仲間入りをしたつもりだったのか、株式市場に投資を集中させるためか、実質2%マイナス金利を維持する政策が維持された(表参照)。それによって、銀行預金やチゾウロ・ジレットの金利などが低くなり、インフレ相殺ができれば良い方で、増やすことなど「夢のまた夢」になった。
その中で昨年のコロナ禍開始から、貧困層の生活を支える緊急支援金が連邦政府から大量に注ぎ込まれてジャブジャブになり、昨年後半からインフレの兆候は強くあったのにカンポス総裁は「一時的なもの」と言い続けた。マイナス金利に拘った挙げ句、「Selicを上げるタイミングを遅らせすぎた」との批判が上がっている。
ブラジルでインフレ高進するのは簡単だ。「歳入上限法」などに定められている国の財政規律を緩めて、国債を可能な限り増やし、国民にバラまくだけですぐに可能だ。国債の大量発行によるバラマキは、貨幣の価値を下げるのでインフレに直結する。
昨年のパンデミックですでにそれは始まっている。モノの供給量は同じでも、紙幣の量がどんどん増えれば、モノが相対的に少ない状態になり、モノの値段が上がるという現象がブラジルのインフレだ。
年内あと2回の通貨審議会(Copom)の度に1%ずつ上げても、8・25%にしかならない。これに対して、IPCAが10%を越えた現在、「インフレ抑制を図るなら、今まで通りSelicをそれ以上にしないと沈静化しない」との声も強い。
というのも、レアルプラン以降でインフレが最悪だったのは、2016年2月の直近12カ月間の累積で10・36%だ。現在とほぼ同じ。その時は、前年2015年7月から1年間もSelicを14・25%に維持していたからだ。
今回は9月に10・25%になっているのだから、同水準の対処をするべきという声が出るのは当然だ。
ただし、来年は大統領選挙があるので、せっかくコロナ禍が沈静化されつつある中、「ここでSelicを一気に上げると資金の動きが悪くなり、経済再活性化の足を引っ張る」と経済界では反対する声も強い。
大統領とセントロンが画策する選挙対策としてのバラマキ
本来なら現政権は、公務員給与による支出を削減する「行政改革」、国家収入の柱である税収を整理する「税制改革」などを最優先で実現して財政規律を正して置かなければならなかった。だが、コロナ禍CPIや大統領のクーデター呼びかけ騒ぎなどですっかり後回しにされてきた。
そんな中で、10月2日が一つの境になった。来年の同日、大統領選の第1次投票が行われるからだ。大統領の尻に火が付いた。もう選挙レースの最終直線に入った。
現政権は4年間の成果を見せるために景気を上げる必要がある。手間と時間のかかるインフレ対策よりも、即効性のある支援金給付に力を入れているように見える。
だから政府は緊急支援金給付を再開し、今度はボルサ・ファミリアを拡大して「アウシリオ・ブラジル」にする話を進めている。大統領もセントロンもさらにジャブジャブにする気だ。
さらに、9月14日付igサイト《連邦貯蓄銀行が1億人に融資を開始する予定》(9月30日参照、https://economia.ig.com.br/2021-08-31/linha-credito-caixa-data-lancamento.html)という記事も出ていた。「10万レアルまでの融資を1億人に行う予定で、借金で首が回らない人に融資して経済活動を回復させる」ことを目指すという。今のところ始まっていない。
「アウシリオ・ブラジル」の審議に時間がかかる中で、開始までの時間稼ぎにこの融資を貧困層に行うのではと言われている。いくら国営銀行でもこんなバラマキが許されるとは信じがたい。
もう一つのバラマキが、ロジェリオ・マリーニョ地域開発相が立案した「Plano Pró-Brasil」(PPB)だ。全国のインフラ工事を進めるブラジル版「国土改造計画」だ。当然、大量の国債発行が前提になる。
PPBでは、今後10年間で160件の入札や民営化を行うことで、合計1兆レアルの投資を呼び込むとの勇ましい声が漏れ聞こえている。
ゲデス財相はもともと「小さな政府」「緊縮財政」を訴えて、「大きな政府」の方向性に反対してきた。だが今はパンドラ文書により、連邦議会から「フリッツゥーラ」(フライパンで炒める)されつつある。セントロンが辞めさせても誰も驚かない(https://www.oantagonista.com/brasil/centrao-vai-para-cima-de-guedes/)。
コラム子的には、ボルソナロと軍部派閥にセントロンがくっついて、軍政時代にドル建て国債を乱発して起こした「ブラジルの奇跡」を、再現しようとしている様に見える。「ブラジルの奇跡」を起こした直後は良かったが、その後にハイパーインフレが始まった。
スタグフレーションに突入したのか?
このまま進んだ場合の最悪の展開は、インフレが進むのに呼応して中途半端にSelicも上がり、それによって経済回復が足踏みして「スタグフレーション」に陥ることだ。これは「経済活動の停滞」と「物価の持続的な上昇」が並行的に起きる状態のことだ。
オ・グローボ紙サイト10月8日付《物価高に国内総生産低成長でブラジルはスタグフレーションに突入したのか》(https://oglobo.globo.com/economia/macroeconomia/com-precos-nas-alturas-pib-perdendo-folego-afinal-brasil-entrou-em-estagflacao-1-25229356)は、すでにそれに警告を発している。
いわく《ブラジルの物価上昇はすでに2桁を超えており、家計を圧迫している。(中略)同時に、2022年のブラジル経済の成長率の予測は1・57%にとどまっている。このような状況下では、スタグフレーションに陥ることが懸念される》と報じている。
パンデミックによってジャブジャブになったマネーは、脆弱な経済基盤しか持たない新興国にインフレとなって襲いかかる。ブラジル経済に巣くう病魔は、パンデミックで完全に目を覚ました。ハイパーインフレの再現は、庶民にとっては最悪の選択だ。これだけは避けてほしい。(深)