モラエス判事を「悪党」と呼んだ2日後「教授」
9月7日(火)午後、ボルソナロ大統領はサンパウロ市パウリスタ大通りでアレシャンドレ・デ・モラエス最高裁判事を「Canalha!(悪党)」と呼び、「最高裁判事を辞めるべきだ」「おまえが下した判決には決して従わない」と大見得を切って、集まった12万人の支持者から喝采を浴びた。午前のブラジリアでのデモの演説は抑え気味だったが、サンパウロ市では名指しで激烈な言い回しをした。
BBCブラジル8日付《9月7日:「ボルソナロはブラジルを〝バナナ共和国〟みたいにした」と米国の解説者は言った》(https://www.bbc.com/portuguese/brasil-58485310)との記事で痛烈な批判をした。「パナナ共和国(república das bananas)」とは、主にラ米諸国をけなす際の用語で、政治的不安定性を持ち、バナナ生産など単一の第1次産業に国が依存しており、富裕なごく一部の支配層が不正や汚職をする中で独裁的に国を牛耳っている様子を揶揄する言葉だ。
8日(水)、大統領の発言を受け、最高裁長官は「判決を遵守しないのは責任法違反にあたる」とのインピーチメント容認の痛烈な反撃をした。さらに司法関係者や政界・経済界からも猛反発を受け、大統領は圧倒的な孤立に陥った。
それまで連邦議会内で「独立派」と称して、政府とは距離を置くが反対ではなかったPSDBが8日、正式に「反政府派」に鞍替えするコメントを出して「インピーチメントを真剣に検討する必要がある」と党首が発言し、罷免を求める声が一気に高まった。
だがトドメは、仲間うちのトラック野郎たちの〝暴走〟だった。全国15州で彼らが勝手に州道を封鎖して、食糧、ガソリンなどのエネルギーが滞り始めるなどの経済的な悪影響を及ぼし始めたことだ。国民にとっては2018年5~6月のトラック・ストの悪夢がすぐに思い浮かんだ。その年のGDPを1%減少させた大打撃ストだ。
大統領は7日晩「同志よ、経済的な打撃は良くない。即刻、閉鎖を止めろ」との音声を公開して呼びかけたが、トラック野郎たちの〝暴走〟は止まらなかった。
9日(木)、仲裁者として颯爽と登場したのが、テメル前大統領だった。左上に掲載した「国民への宣言」を大統領に認めさせ、その場でモラエス判事に電話して、大統領と直接に話をさせ、宣言を公開した。
モラエス判事は、テメル氏によって法務大臣に召喚され、そのまま最高裁判事にも指名された。テメル氏は、サンパウロ州法務局長留まりだったモラエス氏の経歴を、司法界の最高峰まで引き上げた恩人であり、その頼みとあっては断れない。
同宣言は「熱くなりすぎた」との反省のニュアンスを漂わせ、軍事介入の可能性を完全否定しており、最高裁を敵対視する前日のトーンとは異なった冷静な内容で、各界に好感を持って受け止められた。
サンパウロ株式証券市場は、この宣言が午後4時頃に公開されたのを受け異例の急上昇を見せた。政治的要因がいかに経済回復の足を引っ張っているかは、この動きを見れば明らかだ。
テメル登場の内幕
CNNブラジル10日付《テメルとの通話はボルソナロ後退の決定打、その筋道は次の通り》(https://www.cnnbrasil.com.br/politica/ligacao-de-temer-foi-decisiva-para-recuo-de-bolsonaro-entenda-a-cronologia/)は、シロ・ノゲイラ官房長官によって15日も前からテメル登場がお膳立てされていたと伝えている。こうなることを予期して、官房長官は手を打っていた。
テメル氏は、PT政権のジウマ大統領の副大統領だった。ジウマ大統領がラヴァ・ジャット作戦を止める気がなく、捜査の進展に口出しをしないのを見て、捜査対象になっていたエドアルド・クーニャ下院議長(当時)らセントロンの被疑者らがぶち切れ、罷免審議を開始した。
セントロンが彼女を罷免した結果、繰り上げ就任した大統領がテメル氏であり、現セントロンのリーダーであるノゲイラ官房長官にとっては最も頼りになる重鎮だ。
同報道によれば、官房長官は約15日前にテメル氏に電話し、最高裁と大統領が決裂したら仲介してほしいとお願いした。テメル氏はいつでも手伝う用意はあるが、「私の方から大統領に電話をするのはよろしくない」と答えた。そこで官房長官は大統領に、テメル前大統領はいつでも相談を受ける準備があると伝えていた。
だからトラック野郎〝暴走〟の後、大統領は8日にテメル氏に電話し、今回に関するアドバイスを求めた。大統領は落としどころを誤り、収拾が付かなくなっていた。テメル氏は「友達としてのコメントか、大統領経験者としてか、政治家としてか」と尋ね返した。
ボルソナロ氏は「友人」を選んだ。テメル氏は「トラック・ストは、仲間うちでは最初こそ肯定的に感じられるかもしれない。だが、いずれ燃料や食糧の不足、インフレ上昇が起こるから、その責任は君の上に被さってくることは避けられない」とアドバイスした。
実に率直な会話だったという。テメル氏はすぐにモラエス判事と会話する機会を作ろうと提案した。「さらに7日の発言から『後退した』という態度を見せる必要がある」とも付け加えると、ボルソナロ氏は素直に同意したという。
テメル氏はモラエス判事に電話して子細を伝え、ボルソナロ氏と会話することに支障はないか尋ねた。同判事は「個人的に何かあるわけではないので問題ない。ただし、最高裁には彼の訴訟があるから、それは法律的に正しく扱わないといけない」と答え、フェイクニュース捜査などの訴訟を政治的な手打ちにはしないと匂わせた。
テメル氏は電話の内容を大統領に伝え、宣言文書の下書きを広告代理業のエウシーニョ・モウコ氏に頼んだ。
翌9日、大統領が手配した空軍機でテメル氏はブラジリアに向い、大統領、官房長官と昼食をしながら宣言文書の手直しをし、大統領が署名をした。署名後、テメル氏はモラエス判事に電話をし、ボルソナロ氏に渡した。二人は穏やかに会話したという。同判事は、何ら個人的な問題で対処しているのではなく、仕事としてやっていると説明。大統領は「7日は熱くなりすぎた」と申し入れたという。
その上で「国民への宣言」が公開された。
大半のジャーナリストは「すぐに元に戻る」
ただし、ジャーナリストのレオナルド坂本氏はUOLサイトのコラム(https://noticias.uol.com.br/colunas/leonardo-sakamoto/2021/09/10/recuo-fajuto-de-bolsonaro-encobre-avanco-de-sua-inflacao-sobre-os-pobres.htm?utm_source=chrome&utm_medium=webalert&utm_campaign=vivabem&utm_content=210910002_72019)で《ボルソナロは攻撃と後退を繰り返すのが常。次の攻撃は、以前のよりもっと暴力的になることを思い出すべき。今「ああ良かった。全て元に戻った」と安心してはいけない。何も戻っていない。経済スタッフは何の財政改革プランも持ち合わせず、連邦議会ではロビイストが暗躍して、環境規制や労働法や選挙法をなし崩しにする計画ばかりが進んでいる》と批判した。
ブラジルのジャーナリストのほぼ全員は、「ボルソナロは本気で後退する気はない。ポーズだけ見せて、加熱した機運を冷ますだけ。すぐに元に戻る」という意味のコメントをしている。
最高裁は大統領に関連したフェイクニュース捜査やデジタル・ミリシア捜査の手を緩めるつもりはないようだ。いずれ捜査は進み、そうなれば再びボルソナロ氏は反発して暴走を始める。
ジャーナリストのミリアン・レイトン氏はグローボニュース10日(https://g1.globo.com/globonews/podcast/papo-de-politica/noticia/2021/09/10/papo-de-politica-78-bolsonaro-pede-socorro-a-temer.ghtml)で、軍高官にボルソナロの7日の言動に対してコメントを求めたら「ブラジルをアナーキズムに導く動きはあってはならない」と釘を刺したという。実際、7日の大統領派デモには制服軍人はいなかった。大統領はそれを呼びかけているが、憲法で禁止されており、その方向が進めばまさに無政府状態に向かう。
軍上層部の大半がそう考えているのであれば、軍事介入は起きない。7日の件に関して軍は大統領を支持するコメントを出しておらず、基本的に沈黙している。
軍が積極的に行動しなければ軍事介入は不可能な筋書きだ。そこが引けているから、混乱状況だけ作っても〝発展〟していかない。
ボルソナロ大統領は3権の衝突が激しくなり、手のつけようのない暴動などが起き、軍が出動せざるをえない状況にして軍事介入させた結果、自分が強権統治する体制に変える筋書きを描いていると報道されている。
今回、大統領派のトラック運転手らはそれを見越して行動したが、大統領の方が後退したことで取り残された形になったように見える。自分の人生をかけてまで大統領を支持しようとした熱烈なトラック野郎の代表格ゼ・トロボン氏らは、この時点で切り捨てられた。大統領の後退の〝犠牲者〟ともいえる。
同様に、ボルソナロ親派ブロガーの代表格である、Terca Livreサイトや同名ユーチューブの運営者アラン・ドス・サントス氏は、今回の「国民への宣言」を見て「ゲーム終了」と宣言した。
彼はボルソナロ氏の掲げる軍事介入を英雄的救国活動だとロマンチックに解釈し、最も真剣に支持して論陣をはってきた人物だ。大統領の言うことを真に受け、ルイス・ロベルト・バロゾ選挙高等裁長官攻撃を繰り返したせいで、8月17日に連邦公安庁から告訴を受けるなど、個人的な犠牲を払って支持を貫いていた熱狂的支持者の一人だった。
7日の勝者はセントロンか
大統領に会った翌日、10日(金)昼にテメル氏がサンパウロ市南部イタイン・ビビ区のアラブ料理店に友人らと食事に入った際、居合わせた客らから大きな拍手を送られた(https://noticias.r7.com/prisma/christina-lemos/temer-e-aplaudido-em-restaurante-em-sao-paulo-10092021)。テメル氏は拍手に感謝しながら「対話と和平の重要さ」を強調する挨拶をすると、再び拍手が起きたという。
ラヴァ・ジャット作戦により汚職イメージにまみれていたテメル氏だが、今回は評価を上げた。
落としどころを考えずに直情的に行動する大統領という〝暴れ馬〟に対して、セントロンは先手を打って徐々に自陣営に引き入れてきている。3月にコロナ禍CPI開設を決められて以降、大統領は息子らの言う過激化路線まっしぐらになっていた。その一つの頂点が今回の出来事だった。
3月以降、大統領の周囲からはどんどん穏健派がいなくなり、過激な活動家ばかりが残った結果、あせったトラック運転手らの〝暴走〟につながったと思われる。だがその過激な支持者すらも手を引き始めている。
残った大統領支持者らは今回の政治的な後退は「戦略的撤退」だとして容認しようとしている。また、「すぐに元の大統領に戻って過激発言を繰り返す」と見る政治評論家も多い。
だが、大統領に煽られて突っ走った熱烈な大統領支持者が、大統領の後退で犠牲となり次々と「ゲーム終了」を宣言して舞台から下りて始めている。
今までの大統領には「近いうちに本気で軍事介入をするに違いない」と周りを信じさせる迫力があった。熱烈な支持者の暴走を誘うぐらいの勢いがあった。だが今回の後退以降は違う。これから大統領が何を叫んでもその迫力は薄れ、「どうせまた適当なところで折れる」と冷めた見方になっていく。
今回、落としどころを作ったのはセントロンだった。立場の弱い大統領は、セントロンが好むところだ。自らやり過ぎて窮地に陥って助けを求めてきた大統領は、セントロンにとってむしろ歓迎すべき存在だったに違いない。(深)
国民への宣言(仮訳)
国家機関同士が分裂している今、共和国大統領として公の場で次のように言うのは私の義務です。
《1》私は、他の権力を攻撃するつもりはありませんでした。その調和は私の意志ではなく、すべての人が例外なく尊重しなければならない憲法上の決定です。
《2》これらの相違の多くは、フェイクニュースに関する調査の範囲内でアレッシャンドレ・デ・モラエス判事が下した決定についての理解の齟齬から生じていることを私は知っています。
《3》しかし、公の場では、権力を行使する人には、ブラジル人の生活や経済に害を及ぼすほどの「綱渡り」をする権利はありません。
《4》ですから、私の言葉は時に強引なものもありましたが、それはその場の熱気と、常に共通の利益を目指した衝突から生まれたものだと申し上げたいのです。
《5》法学者、教授としての資質にもかかわらず、アレッシャンドレ・デ・モラエス判事のいくつかの判断には当然ながら意見の相違があります。
《6》したがって、これらの問題は、連邦憲法第5条に規定されている基本的な権利と保証の遵守を確保するために取られる司法的措置によって解決されなければなりません。
《7》国を統治する原動力である共和国の制度に対する敬意を改めて表明します。
《8》民主主義とは、行政府、立法府、司法府が国民のために協力し、すべての人が憲法を尊重することです。
《9》私は、他の権力との間で調和と独立を維持するために、常に他の権力との永続的な対話を維持したいと考えています。
《10》最後になりましたが、私の理念と価値観を共にし、私たちのブラジルの運命を導いてくれるブラジル国民の皆様の並々ならぬご支援に感謝の意を表したいと思います。
神、国、家族
ジャイール・ボルソナロ
ブラジル連邦共和国大統領