ブラジル南東部エスピリトサント州の田舎町、イビラス市では、35メートルの大仏像が昨年10月に完成した。建てたのは、曹洞宗白雲山禅光寺(ビッチ大樹住職、Mosteiro Zen Morro da Vargem)だ。
現住職のビッチ大樹さん(68歳)は、同州生れでイタリア系のルーツをもつブラジル人。過去に日本で修業した際の修行仲間から寄付を得た事が大仏建立の大きな理由のひとつだという。その経歴を、息子で副住職のビッチ研道さん(27歳)に取材した。
大樹さんが仏教を知ったきっかけは、1960年代に北米を中心に広まったヒッピームーブメント。そこから『禅』の存在を知り、坐禅などに興味を持った。
当時の同州には坐禅を組めるような寺や修業場はなかった。最初は医師を志してポルトガル留学したが中退、ブラジルに戻ってからは弁護士の資格取得のための勉強に取り組むなどまったく別の道を志していたという。
20歳の時、メキシコで禅を布教していた臨済宗の禅僧高田慧穣師のうわさを聞いて訪ね、1年間修業した。研道さんは「住職が禅を知った当時は、インド仏教が有名でブラジルの反対側にある日本まで行くのは大変敷居が高いことでした」と説明する。
その後、サンパウロ市リベルダーデ区の曹洞宗佛心寺での修業を経て、当時はイビラス仏寺だった今の寺で4年過ごし、修業のために訪日して東京の大本山永平寺別院長谷寺や愛媛の瑞應寺で5年間修業した。
研道さんも東京の泉岳寺で1年と大樹さんも修業した長谷寺で1年、後に長崎県長崎市の晧臺寺で2年の計4年ほど日本で修業。早朝の坐禅などの朝課・日中・晩課の勤めや掃除などの作務、開祖の道元禅師の教えを学びつつ、檀家の法要や年中行事の法要などもこなした。
最初の1年は日本語が出来ず、日本語学校に通いながら修業に励んだ。日本語学校の手配などは住職の同期である永明寺(静岡県富士市)の加藤孝正住職が支援しており、研道さんの本師(師匠)でもある。
研道さんは昨年11月に帰国したばかり。日本での経験について「様々なご縁で言葉の壁を乗り越える事ができました。修業は厳しいですが、厳しいからこそ共に修業する仲間が助け合う経験が得られた」と充実した日々を振り返った。「ですが修業は終わりがない。生涯続くもの」と背筋を正した。
宗教を超えた人たちが遠方から座禅修行に
大仏のある鳥居公園は101号道路に面し、誰でも立ち寄れる。寺もコロナ禍前までは日曜日の8時から12時まで一般開放して寺院内を訪れた人が散策や坐禅体験を出来るようにしていた。
日曜の開放日には1日3回、1度に約90人が坐禅を組める僧堂で坐禅体験を実施する。10人を超える団体でなければ予約の必要なく参加ができ、寺の案内や歴史の紹介なども行っていた。
平日には環境教育で寺に訪れる学生にも、日本文化体験や坐禅体験がプログラムに組み込まれていた。
コロナ禍前には『接心』と言われる「昼夜を問わず絶え間なく坐禅をする修行」をしていた。同寺に3~5日間泊まり、その間毎日、1回40分ほどの坐禅を1日に8~9回、時間にして5、6時間やる修行体験も実施していた。
約9割が州外から訪れ、遠くはアマゾン近隣地域からも足を運ぶ参観者もいる。キリスト教徒や心霊主義(スピリチュアリズム)信仰者、カンドンブレ教徒や無宗教者など仏教信者ではない人が大半を占めるという。
参加者は元々坐禅に興味があり、とりわけ『人として良くなりたい』と向上心を動機に参加する人が多いという。宿泊施設があり最大で100人が泊まれる。このコロナ禍で去年4月から中止していたが、国内でもワクチン接種者が多くなってきた事から、11月頃に再開できないか考えているという。
参加の際にPCR検査やワクチン接種済みの人、宿泊施設が収容できる最大人数100人のところを30人から40人に制限するなど工夫しながら再開を検討していくという。(終わり、天野まゆみ記者)