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アジア系コミュニティの今(5)=1人目は1955年8月25日移住=台湾編〈2〉

張崇哲在ブラジリア台北経済文化事務所代表(大使)

張崇哲在ブラジリア台北経済文化事務所代表(大使)

文書資料の少ないブラジルの台湾移民史

 「ブラジルの台湾移民の歴史について、ぜひ多くの人々と共有していきたいです」と語るのは、在ブラジリア台北経済文化事務所の張崇哲代表(1961年生れ、台中出身)。
 張氏はブラジリアに移動する前、2018年から2年間、在サンパウロ台北経済文化事務所の代表(領事)を務めていた。その間、積極的にブラジルの台湾移民について調査し、資料が残された確実な台湾移民のエピソードについてまとめた。
 「ブラジルの日本移民史は、公式の資料やミュージアムなどを通して豊富に存在します。しかし、台湾移民の歴史は、文書の資料が少なく、人々の口伝えに頼るのみです。ブラジルへの台湾移民の数は、10万人以上から控えめな見積もりで4万人などと推定されています。今は高齢化の一途で、台湾に戻った人もいます。第一世代の移民は、自らの生活に精一杯だった人も少なくなく、歴史的情報がほとんど書面で残されていません。それはとても残念です」と張氏は説明する。
 現在、第一世代の移民は日本移民と同様、減少し続けている。残された年配の台湾移民に、その人生やコミュニティの思い出を語ってもらい、今、早急に書面に記録していかなければ、ブラジルの台湾移民の歴史を記録することは今後ますます困難になる。
 張氏によると、2018年にブラジルの台湾移民の歴史を研究し始めた台北市立大学の教授を含め、多くの人々が既にこの調査と研究を行うように促されているという。また、台湾ディアスポラ問題委員会が、この重要な作業に資金を提供するプロジェクトを設立することを提案したいと考えている。
 「台湾もブラジルの台湾移民も、歴史なくして存在するわけにはいきません。みんなで一緒に歴史を掘り起こしましょう」

ブラジルの台湾移民小話

1963年にモジダスクルーゼスに移民した台湾人六家族の一部

1963年にモジダスクルーゼスに移民した台湾人六家族の一部

 8月25日はブラジルの台湾移民記念日で、2021年は66周年を迎えた。この日は、最初の台湾移民であるヤン・ユーチ医師がサントス港に上陸したことに由来する。
 「1955年が台湾移民の上陸した最初の年といっても、コロンブスが南北アメリカを発見した時と同じように、ヤン医師の前に台湾移民がいなかったということではありません」と述べる張氏。
 日本統治時代(1895-1945)に、日本人の名前でブラジルに移住した台湾人が存在する可能性はあるが、今後は証拠書類を見つける必要がある。
 以下、2019年11月に張氏がまとめたブラジルの台湾移民に関する概要を抜粋する。
【長老派教会の6家族の話】
 文書での記録が少ない中、ブラジルの台湾移民に関する詳細な記述が残されているのは、サンパウロのモジダスクルーゼス市にある長老派(プレビステリアーナ)教会である。
 1963年、台湾中部のチョンホア地区の一角にある長老派教会のゴアン-タウ教会(4家族)とケ-チウ教会(2家族)から合計6家族32人の農民が、8月20日に基隆(キールン)港からオランダの貨物客船テーゲルベルク号で出港した。49日間の航海を経てリオを寄港し、10月9日にサントス港に到着、翌日に下船した。
 この6家族は、船上でChien Rongyuan家の7人を含む、ブラジルへの移民を希望する50人以上の台湾人に出会った。当時、台湾で多くの人が乗船することから、日本を出港した船が特別に基隆を寄港するルートに変更したと言われている。
 乗船券は、大人448ドル、子供224ドルで、当時の台湾の経済状況からみると非常に高価だった。一部の家族は乗船券ですべてお金を使い果たし、ブラジルに到着した。(続く)