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■訃報■本紙元俳壇選者の星野瞳さん

星野瞳さん

星野瞳さん

 ニッケイ新聞の俳壇選者を長らく務めていた星野瞳(本名=明、島根県)さんが17日、聖市の自宅で容態が悪化し、病院に搬送中の午後4時ごろ老衰で亡くなった。行年103歳。
 家族によれば、星野さんは最近寝たきりになっており、食事もあまり摂取できない状態になっていたという。葬儀や埋葬墓地などは現在検討中。葬儀はコロナ禍のため親族のみになる予定。
 星野さんは1918年7月に島根県松江市に生まれた。1930年2月、11歳で両親と共に渡伯した戦前移民の準二世だ。ポンペイア在住の25歳の頃に、ブラジル各地で俳句指導をしていた佐藤念腹師の弟子になり、早くから頭角を現してきた。
 50歳頃に念腹師の推薦で本紙前身の一つパウリスタ新聞俳壇選者となり、以降96歳となる2017年1月までの約半世紀にわたり邦字紙の俳壇選者を務めた。
 「砂丘句会」「エスペランサ句会」「サウーデ句会」その他多数で指導、1986年からの8年間月刊の俳誌『子雷』を主宰。2007年には自身の句集『神有月』を出版した。
 生涯に無数の俳句を残したが、星野さん一番のお気に入りは、「人戀(こ)へば勿忘草(わすれなぐさ)の芽生える」「しろがねの大角笛を吹く霞」だった。