今年7月に山形県庄内町議会の補欠選挙で、山形県初の外国出身議員が誕生した。シリア出身でエジプト育ちのスルタン・ヌール氏(50歳)、「スルタン」が苗字だ。「日本で長く暮らすようになり、将来的には日本で子供も育てたいと思うようになりました」と、日本に足を踏み入れてから20年。今回は本紙特別インタビューで日系人とのエピソード、日本での外国人受け入れや共生の課題などについて外国出身者の視点から意見を聞いてみた。
シリア生まれ、エジプト育ち、そして日本へ
スルタン氏はシリアのアレッポで生まれ、農業技師だった父が定年退職したのを機に、13歳から母の親戚が暮らすエジプトのアレキサンドリアに引っ越して成長した。
「エジプトに引っ越したばかりの時はシリアよりにぎやかで、動きがダイナミックな印象でした。シリアはフランス語や英語を勉強してもアラビア語が中心、エジプトのアラビア語は方言で、もっと英語やフランス語、イタリア語も飛び交っています」
日本との出会いは、4歳の時に始めた空手。「イチ、ニ、サン…」という言葉に興味を惹かれ、日本
語だと知ってからはずっと憧れの国だった。エジプトの体育大学を卒業してから国家公務員となり、市民のための様々なスポーツプログラムを企画していた。
職場では日本のJICA(国際協力機構)プログラムの受け入れ責任者を務め、そこで出会った日本人から来日を誘われ、2001年、初来日した。
JICAのプログラムで山形県鶴岡市のスイミングクラブで10か月、水泳指導員として地元の子どもたちを教えて過ごし、エジプトに帰国した翌年、今度は筑波大学の博士課程に進学するため再来日した。
日系ブラジル人との出会い
スルタン氏が初めてブラジルに日系社会があることを知ったのは、JICAプログラムで山形県知事のもとにあいさつに訪れた時だった。世界各国から集まった13人の研修生が一緒で、内3人が日系ブラジル人だった。
「私は自分の名前しか日本語が話せなかったのに、彼らは祖父母が日本人ということで流ちょうに日本語を話していました。とてもフレンドリーで、何も分からなかった私のことを色々と助けてくれました」と振り返る。「ブラジルの日系人は、国際交流のできる能力を持った世界の懸け橋となれる人々だと思います」とも続けた。
シリアのアレッポから妻を呼び寄せ
2013年にビザを更新するか日本国籍を取得するかを選べる状況になり、日本国籍を取得したスルタン氏。
「大雪や突然の天候の変化、地震など、日本は厳しい自然環境もありますが、緑豊かで、今のナイル川よりも水がきれいで、人々は平和的です」
2016年には、親せきの紹介でアレッポ出身の妻バイヤンさんと結婚。鶴岡市からより自然豊かな庄内町に引っ越した。2011年にシリア戦争が始まってからも、バイヤンさんの家族はアレッポで暮らし続けてきた。
スルタン氏は妻とその両親の顔を見たことはなかったが、同年1月から半年間はビデオ通話で会話し、7月にレバノンに迎えに行って結婚手続きを済ませ、日本に呼び寄せた。
「インターネットの回線はすぐに切れるし、電話をしていても銃声やロケット弾の音がいつも聞こえていました」
現在は4歳の息子と2歳の娘に恵まれ、夫婦で平和な暮らしに心から感謝している。(続く)
【スルタン氏の議員当選に関する参照サイト(NHK政治マガジン)】
https://www.nhk.or.jp/politics/articles/feature/68137.html