「アウシリオ・ブラジルが突然発表されたのは、コロナ禍CPIへの逆襲だ」――ミリアン・レイトンら複数の有名ジャーナリストは、そう見ている。
コロナ禍議員調査委員会(CPI)の報告書が先週最終調整されて読み上げられ、今週承認されて、連邦検察局などに送られる。このCPIによりボルソナロ政権は大打撃を受けてきた。支持率を悪化させ、来年の選挙を不利にする要因だ。
それに対するイメージ回復を図るために、同じタイミングで、ボルソナロ政権は先週、財源を確保しないまま新社会保障制度「アウシリオ・ブラジル」(以後、アウシリオ)をあせって発表して、金融市場を大混乱させた――という見方だ。
確かにその通りだ。ともに1年後の統一選挙(来年10月2日)に向けた動き」という意味で対極をなしている。政治家の頭は、すべてが選挙を視野に入れた発想になっているに違いない。
興味深いことに、このCPI報告書は「大統領に9つの罪状で起訴請求」を結論づけている。明らかにコーロル大統領、ジウマ大統領のインピーチメントよりも罪状は重い。60万人余の国民がパンデミックで亡くなった責任を問う捜査活動が、このCPIな訳だから罪状も当然深刻なものになる。
本紙10月22日付《コロナ禍CPI報告書=66人と2企業の起訴要請=大統領には9つの罪状適用=現閣僚4人に元閣僚2人も=上院で承認後に検察庁へ》(https://www.nikkeyshimbun.jp/2021/211022-11brasil.html)で詳しい内容を報じている。
この報告書が承認された後、CPIメンバーが大統領罷免に向けて連邦検察庁に圧力をかけ、アラス検察庁長官が受けなければ最高裁に直訴するとか、大統領の弾劾裁判を起こすべく様々な方策が練られていると報道されている。
CPIによるインピーチメントは壮大な茶番?
これに対して20日付G1サイト(20日参照、https://oglobo.globo.com/politica/video-flavio-gargalha-ao-imitar-reacao-de-bolsonaro-sobre-acusacoes-da-cpi-da-covid-piada-de-muito-mau-gost)には、ボルソナロ家長男フラビオ上議の反応が報じられている。《フラビオはコロナ禍CPIの訴えに関して、父を真似して「趣味の悪い冗談だ」と大笑いしてみせた》と報道されている。つまり「いくらCPIをやってもムダ。罷免できにない」とボルソナロ家は考えている。
実は、そう考えているのはボルソナロ家だけではない。大半の政治家やジャーナリストも、本音の部分では罷免審議は起きないと思っている。
なぜなら、インピーチメントは下院議会が中心に行う「政治的な裁判」であり、政治的である以上、タイミングに左右されるからだ。
パラグアイなどではあっという間に大統領罷免が成立するが、ブラジルの制度では弾劾裁判には6カ月かかる。もう年末であり、あと1カ月余りで連邦議会は休会に入り、2月のカーニバル明けまで休みに入る。
3月からインピーチメントを初めても、終わるのは8月…。もう選挙活動まっさかりの時期で、そこでボルソナロが大統領を辞めさせられても、ほぼ任期全うだ。それに今のボルソナロの不人気ぶりなら、次の選挙で当選しない可能性が高い。そんな人物を、わざわざ6カ月もかけて罷免する手間をかける政治家がいるだろうか。
加えて、弾劾裁判を起こすこと自体が難しい。(1)CPI報告書をうけてアラス検察庁長官が罷免申請を下院議会に申請し、(2)それをリラ下院議長が受け入れて、罷免審議開始の判断をし、(3)下院憲政委員会で罷免審議を始めなければいけないが、その全ての段階の責任者は、大統領が親派で固めているからまず通らない。
とどめは(4)万が一、憲政委員会を通過しても下院本会議ではセントロンの固定票300があり、3分の2の罷免賛成票はほぼ不可能。
つまり、タイミングも悪いし、大統領の作った政治的防壁が多すぎて、インピーチメントは現実的ではない。
ではなぜ、上院のコロナ禍CPIのメンバーは半年もかけて審議をして、1千頁以上の報告書を練り上げたかといえば、その過程でいろいろなスキャンダルが暴露されて大々的に報道されることにより、政権の支持率に打撃が与えられるからだ。
事実、CPI開始以来、政権の支持率はどんどん落ちている。これは来年の選挙に向けて、大統領再選には最悪の展開といえる。
〝クーデターの夢〟から覚めて、現実に
CPIで追い立てられた焦りからか、大統領は息子らや過激分子の言うことに従って、9月7日のブラジル独立記念日に向けて、親派を動員して最高裁や連邦議会への口撃を強め、クーデター機運を盛り上げようとした。
クーデターになれば、どんなCPI報告書が出ようが、最高裁がボルソナロ家に不利な判決を出してフェイクニュース捜査を進めようが、来年の選挙のことを考えなくても良くなる。大統領なりに軍部や警察筋を動かそうとしたが、結局は失敗に終わった。
〝クーデターの夢〟から覚めて現実に戻ったボルソナロは、テーメル前大統領の仲介で最高裁と手打ちをした。その後は最高裁や連邦議会への口撃を弱め、セントロンとの絆を再び強くして選挙に備える方針に転換した様に見える。
9月からアウシリオ実現に向けた本格的な裏工作を始め、財源も確保できないまま、先週ムリヤリ発表した。来年の選挙でルーラに勝つには、北東伯の貧困層を取り込むことが鍵となる。それにはボルサ・ファミリアを拡大してバラマクのが、一番手っ取り早いという政治的判断だろう。
21日付エスタード紙でヴェラ・ロザは《ボルソナロはルーラに立ち向かってアウシリオ・ブラジルを売り込み、CPIを叩くために北東伯を選んだ》(23日参照、https://politica.estadao.com.br/noticias/geral,bolsonaro-escolhe-nordeste-para-atacar-cpi-vender-auxilio-brasil-e-enfrentar-lula,70003875583)という記事を書いた。
いわく、PTの大票田・北東伯に食い込むためには、歳出上限を破ってでも〝ターボ付きボルサ・ファミリア〟(アウシリオ)を実現するしかないと大統領は決断したと論じている。
本来なら、就任以来の3年間のうちに、所得税を中心とした税制改革、公務員支出を減らす行政改革などを実施していれば財政的な余裕が生まれていた。
もしくは、大統領派の議員向けの不正支出疑惑「トラトラッソ」の30億レアルを減らすとか、今年3倍に増やして57億レアルにした選挙基金を減らすなどすれば捻出できた。
それをやらずに現実離れしたクーデター機運盛り上げなどでズルズルと時間を過ごし、今になってアウシリオの財源を探し始めたからムリが生じている。
財政緊縮派のゲデス経済省がバラマキ派に?
ボルサ・ファミリアと中身は変わらない以上、ある程度、インパクトのある金額にしないと違いが明確にならない。それなら2倍以上にしなければと、大統領は400レアルに拘っている様に見える。
300レアルまでは経済省がなんとかやりくりした範囲で実現可能だが、大統領が400レアルに拘ったために歳出上限枠を越えることになった。金融市場は、これを機に際限なくバラマキが始まり、財政状態がどんどん悪化するのではとの先読み予想が広まり、先週は大荒れになった。
本来、財政緊縮派だったゲデス経済相だが今回譲歩した。セントロンに後押しされた大統領に土俵際まで追い詰められ、強引に寄り切られた形だ。歳出上限の計算方法を変えるなど、ルールの方を変えて上限を守りつつ、財源を捻出する方向性を認め始めた。
プレカトリオ(裁判所が連邦政府に支払うように命じた賠償金など)憲法補足法案(PEC)が現在、審議中だが、そこにインフレ算出方法の変更を加えて、来年予算をより多く組めるような項目を付け加えた。すでに下院特別委員会を通過しており、本会議にかけられ上院に回される。これが承認されれば、充分な財源が確保される。
だが、これが意味するのは、ゲデス経済相が従来の自分の主義主張よりも、大統領の選挙対策を選んだということだ。それを裏切りと感じた経済省の4人の大黒柱といえる経済スタッフが、一斉に辞任を申し出る結果になった(https://www.nikkeyshimbun.jp/2021/211023-11brasil.html)。
市場は「ゲデス経済相も辞めて、セントロンが本格的に経済政策を牛耳るようになるのでは」とみて22日にさらに下げたが、夕方にボルソナロと一緒にライブ配信に出て「辞めない」と明言したことで落ち着いた。
貧者救済のためにインフレを高める矛盾
緊縮財政主義のはずのゲデスは大臣就任以来、つねにバラマキ政治的要請に負け続け、今回は完全に城を明け渡した状態と見られている。だが、彼がいるうちは「完全なバラマキ・ポピュリズム」には陥らないと市場は見ているようだ。
この間どんどんレアル安に動いたことから輸入品や燃料物価が高まって、ただでさえ強かったインフレ傾向がさらに強まった。インフレが高まればアウシリオが始まっても目減りするだけだ。インフレは富裕層より、貧困層を直撃することは周知の事実だ。
貧者救済のアウシリオの値段を上げるためにインフレを高めてしまっては、本来は元も子もないはず。だが選挙で勝つためには先のことは考えないようだ。
そのため、今週の通貨審議会(Copom)では、前回までに予告された1%上げではなく、1・25~1・50%という声が高まっている。
その結果、来年には経済基本金利Selicが10%を越えるという予想(https://www1.folha.uol.com.br/mercado/2021/10/credit-suisse-eleva-projecao-para-selic-a-105-e-piora-estimativas-para-pib.shtml)も出始めている。
Selicが上がると銀行がお金を貸すレート上がるので、市場でお金が動きづらくなり、景気の足を引っ張る。今ですら国内総生産(PIB)の来年度予想はどんどん下げられているのに、さらに見通しを暗くする流れだ。
21日付ヴァロール紙も《CDSでブラジルの国家リスクを図ると、4月以来で高水準に》(23日参照、https://valor.globo.com/financas/noticia/2021/10/21/risco-pas-do-brasil-medido-pelo-cds-sobe-ao-maior-patamar-desde-abril.ghtml)と報じている。
ブラジルが財政破綻した時に備える保険CDS(https://www.investing.com/rates-bonds/brazil-cds-5-years-usd)は、独立記念日の9月7日以降上がり始め、22日には224まで跳ね上がり、コロナ感染拡大第2波が始まった3月末と同じ水準にまでなった。
ルーラ、シーロなら600レ以上にするかも・・・
ちなみに、ボルソナロの最大のライバルであるルーラは、ボルサ・ファミリアを600レアルにすることを擁護している。20日付カルタカピタル《ルーラはアウシリオ600レアルを擁護》(https://www.cartacapital.com.br/cartaexpressa/lula-defende-auxilio-de-r-600-e-minimiza-estrategia-de-bolsonaro-vamos-ganhar-as-eleicoes/)と報じる。
いわく、ルーラは《ボルサ・ファミリアの600レアル増額に賛成する。22年の選挙のことは少し忘れよう。まず国民は食べ、働き、健康な暮らしをする必要がある》《我々は選挙で勝つ。彼(ボルソナロ)は600、700、800に上げることができる。これは国民の税金を国民に返すだけだ》と熱烈に論じた。彼が当選したら本当に800レアルにするかもしれない。
ここから透けて見えるのは、「パンデミック後の経済は政権が右だろうが左だろうが、バラマキ・ポピュリズムからは逃れられなさそうだ」ということだ。ボルソナロだから400レアルで済んでいるが、左派のルーラやシーロ・ゴメスが大統領になれば、さらに増額する方向が強くなる可能性を感じる。
パンデミックが収まりつつある中、現在のブラジル最大のリスクは、選挙が近づくにつれて緊張感が高まる政治にある。そして、この政治リスクの高さは、来年誰が大統領になろうとも続くに違いない。(深)