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繁田一家の残党=ハナブサ アキラ=(2)

 その高倉も、あれから40年間で事業にも成功し、個人的にも目標の千人斬りも果たし、アメリカで暮らす孫に毎年会いに行く悠悠自適の生活送っとる。
 物置には酒が常に山積み。単身赴任の例に漏れず、毎晩のように酔っ払ってご帰還のおやじは、いつも高級ナイトクラブの選りすぐりの美女を何人か連れてくる。
 階下でビール瓶の音がすると二階の高倉、永岡、室園の3人が、どたどたと階段をすべるように降りてくる。
 家が福岡にあるのに入寮した仁科は、ステレオのビリー・ボーン楽団の曲を止め酒の燗をつける。
 福高、日大を通じて、仁科のラグビー部の後輩で昼行灯の如き5時から人間の大津が、大張り切りで酒の肴を食卓に並べはじめると、洋間の福富がガウンを着てパイプをくわえ、酒は飲めないくせに女欲しさに起き出すありさま。
 いやはや、もう社員寮かキャバレーか見分けのつかない酒池肉林の極楽天国。
 九州随一の歓楽地である中洲美人のスポンサーの旦那衆は、バイアグラなしでは役に立たない年輩ばかりで、入れ替わり立ち代り毎晩のように寮を訪れる夜の蝶は欲求不満の絶頂で、彼女達と同じ年頃の我々独身寮の住人とは、もってこいの組合わせやった。
「女がうまくいくと、仕事も巧く行く」と、おやじはいつも言ってたが、その言葉を裏附ける様に九州全域の業績が急激に伸びはじめた。
 飲み欲と性欲を満たされた繁田一家は、このおやじの為ならと口にこそ出さないが、自然と行動に迫力が出てきた。
 傘下の営業所長も従来のままで小倉は田中、長崎は宮森、熊本は大友、大分は池田、宮崎は辻山、鹿児島は釘本と誰一人としてセールスのスタープレーヤーは居ない。
 おやじも「村松専務が、あんな、ぼろのスタッフで、よお売れるなあ云うとる」とよく言ってたが、リーダー次第でスタッフの働きは良くも悪くにもなることが立証された。
 おやじのデスクの引出しは空っぽ同然で印鑑も次長に預けたまま。責任は取るけど自分では捺印しない主義。
 日本の管理職は、この逆で捺印は、するが責任は回避する輩が多い。
 デスクの上に開いていた日章ノートに書かれてた日記を読んだ奴が居た。日記といっても毎日せいぜい1行か2行の文章。“永岡、今日も熱下がらず”、当の永岡が感動したのは言うまでも無い。
 “酒は飲め飲め・・・♪”で名高い黒田藩の城下町は地行西町にある地行寮の賄いは、西鉄本社の裏通り万町の会社の近くにある行きつけの割烹「芙蓉」の板前の松っちゃんの嫁はん。
 たまには、腕利きの板前が腕を振るってくれるかと期待したが、当てが外れた。
 アマチュアカメラマンの松っちゃんは、休日には家族連れで出かけていた。
 松っちゃん夫婦の馴れ初めは、日韓共催のワールドカップでカメルーンが合宿練習して有名になった大分県中津江村の旅館の板前と仲居の間柄。
 寮では休日には食事が出ない。おやじ以下全員が平等に金を出し合い室園と大津が肉屋に走り、寮のテレビで“てなもんや三度笠”や“スチャラカ社員”を観ながら昼間から酒盛り、豚ちり鍋を囲んだ。