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《ブラジル》ジルベルト・ブラガ死去=稀代の有名ドラマ脚本家

ジルベルト・ブラガ(Twitter)

 1980年代の文化史を代表する作品「ヴァーレ・トゥード」をはじめ、ブラジルのテレビドラマ界最大の脚本家のひとりだったジルベルト・ブラガが26日、リオで亡くなった。75歳だった。27日付現地紙が報じている。
 ジルベルトは1945年11月にリオで生まれた。リオ・カトリック総合大学で学んだ後、演劇や映画の評論家としての活動を開始し、1972年にグローボ局専属の脚本家となった。自身の初脚本となった作品は1973年の「プライアス・デセルタスとフェリス・ナ・イルゾン」だが、ドラマ番組の脚本をてがけたのは、ラウロ・セーザル・ムニスとの共作となった1974年の「コリーダ・デ・オウロ」からだ。1975年にはジャネッテ・クライルと組み、「ブラーヴォ!」を世に送り出した。
 彼にとって初の大ヒットとなったのは、後に国際的女優として有名になるソニア・ブラガ主演の「ダンシング・デイズ」(1978)だ。当時の国際的なディスコ・ブームのきらびやかさと、都会に生きる女性像を描いたこの作品は社会現象となり、女性ヴォーカル・グループ、フレネーチカスの歌った同名の主題歌も大ヒットした。

 以後、ジルベルトはブラジルきってのドラマ脚本家となったが、最大のヒットとなったのは1988年の「ヴァーレ・トゥード」だった。このドラマではベアトリス・セガール演じる憎まれ役の富豪の女性、オデッテ・ロイトマンが謎の死を遂げ、「誰がオデッテ・ロイトマンを殺したか」が流行語となった。
 この言葉は現在のブラジルでも、陰謀や謎をあらわす比喩として使われるに至っている。また、ロイトマンに象徴されるように、ジルベルトの作品は強烈な悪役キャラクターでも知られるようになる。
 その後も、「ライニャ・ダ・スカタ」(1990)、「セレブリダーデ」(2003)といった大ヒット作がある。また、50年代の保守主義の人を描いた「アノス・ドウラードス」、60年代の政治動乱を描いた「アノス・レベルデス」(1992)のふたつの社会派のミニシリーズも絶賛されている。2008年には「パライゾ・トロピカル」が国際エミー賞の最優秀連続ドラマ賞を受賞している。
 22日に食道穿孔で入院後、感染症が全身に広がり、死亡した。近年は体調を崩しており、2015年の「バビロニア」が最後のドラマとなっていた。