庄内町議会議員として
日本に来て間もない頃、日本人の友人が、「ヌールさんは頑張っているから、この言葉を覚えた方がいいよ」と教えられたのが、『人事を尽くして天命を待つ』だった。同様の言葉がアラビア語にもあり、以来、スルタン氏の座右の銘で、議員として議場で初めて質問した9月9日にも、この言葉を用いて抱負を述べた。
現在、スルタン氏の任期は残り一年にも満たない。今は次期選挙への出馬を考えるより、議員として目の前のやるべきことに取り組む日々だ。
庄内町は細長く、奥地は市街地から距離があり、冬は雪深く、行政サービスが行き届きにくい地域もある。「庄内町がナンバー1の町になるようなまちづくり」を目指して、町内全体を歩き回り、人々の要望を聴いている。
自身の子育てで、自宅近くに小児科がなかったことで困ったことから、へき地の医療拡充と小児科の設置を目指している。町には娯楽施設が少ないことから、若者のスポーツ参画や高齢者が健康で長生きできるための体力づくりを企画したいとも考えている。
他にも、コロナ後の経済復興、若者の就職先、高齢者も安心な町、少子高齢化対策として外国人の受け入れなど、日本が直面している問題にも挑まなければならない。
庄内町では50歳のスルタン氏が一番の若手議員である。そんな状況に変化の兆しを感じたのが、10月10日に隣町の鶴岡市で行われた市長と市議会議員選挙。
「議員選挙は新人女性候補が得票数で1、2位の座を獲得し、31歳の女性がトップ当選しました。改選前に1人だった女性議員も4人に増えました。時代の変化を感じます」。外国出身のスルタン議員や若い女性議員に山形県民の期待が寄せられている。
オープンな日本惑星へ
「アラビア語で日本は「カウカブ・ヤパーン(日本惑星)」と表現されることがあります。日本は海を渡らなければ他国と交われないため、自国の文化が守られてきました」。スルタン氏は日本の良い面を高く評価するが、国際交流では物足りなさを感じている。
「日本は海外にお金で支援をよく行いますが、現場での人と人との交流が少ないです。また、日本には近場のアジア人が外国人労働者としてよく受け入れられていますが、企業もドバイ進出で止まらず、その先の中東の人々ともっとつながりを持ってほしいと願っています」
スルタン氏は過疎化の田舎町にも外国人が来られるように、日本人が英語もしくは他の外国語で、二か国語以上話せる方が良いと考えている。
100キロ離れたスーパーに食材調達
スルタン氏が来日して最初に苦労したのは、日本語と食事だった。特に早い時期に覚えた漢字「豚」。イスラム教徒のスルタン氏は豚を食べるのを禁じられている。日本では様々な食品に豚由来の成分が含まれ、それを避けるのに一苦労だった。「豚は特徴のある漢字なので覚えやすかったですが」
日常の食生活は、日本の食材をアレンジしてアラブ料理を作る。インターネットでアラブの食材も入手しやすくなり、ハラール肉も簡単に調達できる。
「外国人には外国のものを販売しているスーパーに行くのが良いと思います」と、100キロ離れた山形市郊外のコストコまで輸入食材を買い出しに行く日もある。
異国で暮らす外国出身者として
ブラジル在住の日本人移住者には、スルタン氏は異国で暮らす外国人として様々な困難やカルチャーショックに遭遇してきたからこそ、共感できる思いがある。
「良いニュースでも困ったことでも、ブラジルから何でもお声をかけてください。必ずお返事します」と、熱いメッセージを送る。
筆者がブラジルにはシリアやレバノンからの移民の存在感もあることを伝え、サンパウロのアラブ菓子専門店Alyah Sweetsのショーケースにあるアラブ菓子の写真を紹介すると、スルタン氏は郷愁に目を輝かせた。(大浦智子記者、終)