10月末にG20参加のためにイタリアを来訪したボルソナロ大統領だったが、その間、「他の国の首脳に相手にされず孤立した」「護衛がマスコミに暴力を振るった」「環境会議COP26に参加せずに顰蹙を買った」など、その国際的評判は散々なものだった。
ボルソナロ氏が自分の存在を示したかったのはせいぜい、1日に同国ピストイアで行われた第2次世界大戦の兵士慰霊祭だろう。ここでは、同氏がかねてから頻繁に言葉を引用するほど敬愛しているムッソリーニが追悼できるだけではなく、同国の極右の代表的存在の一人、マテオ・サルヴィーニ氏と会うことが出来たためだ。
ただ、このときの面会は同国のメディアではかなり冷ややかな目で見られていた。それは、サルヴィーニ氏がすでに国内での影響力を落としていたためだ。サルヴィーニ氏は数年前まではフランスの大統領候補マリーヌ・ルペン氏と並ぶ欧州極右の大物と見られていた。ジュゼッペ・コンテ政権の副首相になった2018年はその絶頂だった。
だが2019年8月に同氏が解散総選挙を目指して連立政権の離脱を宣言した際の態度が不評。そのまま政権の座を失うと人気を落とした。現在は副首相時代に、「移民を違法に拘留した」との容疑で裁判にかけられている。
また、国内2位の所属政党「同盟」での地位もコンテ政権を継いだミラギ政権に参加した党ナンバ−2で穏健派のジャンカルロ・ジョルゲッティ氏に奪われた。党内での極右勢力もかなりの数が、より過激な主張を展開する新興政党「イタリアの同胞」に移籍。こうしたことが重なり、サルヴィーニ氏は「国内の大物政治家」をテーマにした世論調査での支持率も、かつてのトップクラスから8位まで後退していた。
そんなサルヴィーニ氏がボルソナロ氏と面会したことは、イタリアでは批判の的となった。ジョルゲッティ氏は「この期に及んでボルソナロ氏などと近づくとは、我々の党(同盟)をどちらの側に行かせたいんだ」と批判。ビラギ連立政権の中道左派の政党からは「あのような時代遅れの極右に近づいたことに関し、同盟に説明を求めたい」と強く迫っている。
こうした経緯から、現在のイタリアでボルソナロ氏とサルヴィーニ氏が接近することで極右勢力が盛り上がることはなさそうだ。ボルソナロ氏がもう少しイタリア国内の状況を事前に把握して「イタリアの同胞」の方に接近していれば、事情はもう少し違ったかもしれないが。(陽)