ホーム | 文芸 | 連載小説 | 繁田一家の残党 | 繁田一家の残党=ハナブサ アキラ=(7)

繁田一家の残党=ハナブサ アキラ=(7)

 おやじは、児玉機関と称せられ満州・朝鮮に君臨してた児玉誉士夫のお抱えマッサージ師をしていた山下氏と懇意になり、同盟通信の記者をしながら、その余得で事業を起こした。
 記者と云っても実情は、ゆすりたかりの類で、植民地勤務の役人や軍人は汚職の巣窟だから、児玉機関から入手したネタを基に政府の要人を、ゆするのである。脛に傷のある役人共が、保身のために融通してくれる資材や情報が銭儲けの種になった。
 山下さんは自称JPC即ちジャパン・ピンハネ・カンパニー、日本の裏街道にはWEBの如く凄いコネがはりめぐらされていた。
 ヤクルトおばさんの流行る以前、既にヤクルトを郵政弘済会につなぎ、全国津々浦々にある切手・はがき・印紙の看板がぶら下がってる店でヤクルトを取り扱わせた。ヤクルトはブラジル進出を企画中で、山下さんがワイを松園社長に紹介してくださり、ワイは長崎県庁勤務の社長の弟に会った。松園兄弟は長崎県五島列島の出身で、五島列島の病院診療所を紹介してもらったワイはレントゲンと心電計を売り込んだ。
 カナダのトロントから日系二世のヒロシが、アイスパックを売り込みに来日。それを東芝が取り扱うことになり、おやじと山下さんが郵政弘済会につなぎ、支店でも独自の販売網を築き始めた。このアイスパックは、冷凍庫に入れればドライアイスよりも便利で氷枕にもなり、温めれば湯たんぽにもなる代物。
 後年、トロントでヒロシと会った際に「繁田さんは面白い人でした。博多に来れば、はたちぐらいの若い女の子を世話してやると云われたのに惜しいことをしました」と残念がっていた。
 一方、ワイ等の福岡支店でも沖田課長がアイスパックのチラシを九州一円に配ったが、印刷されたチラシを注意深く読まなかったので、大商証券福岡支店の電話番号がミスプリントされていたのを見逃し、大商証券に問い合わせの電話が掛るという事態を招き、我社のぼんくら課長が大商に謝りに行った。
 課長に同行したジェットの鷹は、早速その晩に大商のテレタイプ担当者をものにした。「裸にしたら、こないに大きなおっぱ×で、いい体してたばい」と有頂天になっていたら、つきまとわれ、やくざっぽい兄貴まで出てきて脅かされ逃げ回ってた。
 おやじの朝鮮時代の仲間には桁外れに奇抜な人物が多く、背が低く跳び上がり五尺ぐらいの男が山下氏と一緒に寮に現れ、京城でのおもろい話をいろいろしてくれた。
 電話がかかってくると「あずま商事」と応答し「産業部にまわします」と待たせて時間を稼ぐ。その会社は大陸浪人の徒党に過ぎず、会社といっても電話一本あるだけで実態は何もない。ポンプの注文を受け、ホースを納入しなかったので用を成さなかったとか。
 賄い女と一発やるのに、女の息子に水をいっぱい張った金だらいを持たせ豆腐を買いに行かせ、水がこぼれないようにそろりそろりと帰ってくる間にセックスの放射を済ますといった逸話は何度聞いてもおもろかった。
 この女は子供が居なくなると、自然にいらっしゃい水がすわ~んと出てくる器のいい女と聞いて、巻き寿司と褌の川流れの二人は、たまりかねてトルコ風呂に駆け込み「さっぱりしました!」。
 終戦後、金銀珊瑚とはいかないまでも、相当の財産を積んで朝鮮から日本に帰る途中、暴風で船が難破し、丸裸で日本に帰り着いたおやじは、闇屋をして高松で金を儲け旅館やバス会社を経営し、にわか成金となり四国では相当の顔が効く人物になっていた。