デジタル化が進み、記事を書く際も、基になる記事やデータをネットで検索する事が増えた。だが、読みながら線を引いたり、書き込んだりできる紙の資料はやはり貴重だ。
そんな紙の資料を整理しようとしていて、水危機、電力危機絡みで切り取っておいた記事の一つが目に止まった。
それは、中西部から南東部、南部が水不足で悩む中、かつては水不足で悩んだ北東部に水を運ぶようになったサンフランシスコ川が、干ばつで悩む地域への電力供給でも頼みの綱となっているという内容のものだ。
5年前に貯水量が3%まで落ちたバイア州ソブラジーニョ発電所のダムは、この10月初旬には38%を蓄え、むしろ10月第1週に放水量を上げたという。
また、流域の発電所も恩恵に与り、放水量を増した事、流域の発電所からの電力は全国を網羅する送電網で他地域に運ばれ、10~11月の電力供給の鍵と見られている事が報じられていた。それを読み、互いが協力し合う事で全体が生きると実感。「備えあれば憂いなし」の諺も思い起こした。
伯国では水力発電などの再生可能エネルギーが発電量全体の8割を占める。その事は、少雨による水危機が電力危機も引き起こし、火力発電多用による電気代高騰を招く原因ともなった。
だが、5年前は他地域からの電力供給を必要とした北東部が、風力発電や太陽光発電の進展もあり、逆に他地域に電力を送り出すようになっている事は、全国を結ぶ送電網の整備やサンフランシスコ川の治水工事、新発電施設建設などの結果だ。
もし5年前、「ソブラジーニョ発電所は役にたたない」と切り捨てて廃止していたら、現在のように他地域に供給する立場にはなりえなかった。また、サンフランシスコ川の治水工事を投げ出したままにしていたら、北東部の人々は今もロバで水を運ぶといった作業を強いられていたはずだ。
その昔、こんな童話を読んだ事を思い出した。手や足は、口に向かって「お前は働きもせず、旨い物ばかり食べている」といって愚痴り、働くのを止めた。手が食べ物を口に運んでこないので、体全体が空腹や体力の衰えに直面した。口が言う「あなた達が運んできてくれる食物を、私が食べる事で体力や全身の機能が保たれるのです」という言葉に、手や足はようやく納得し、再び働き始めたという話だった。
状況改善のための工夫や互いを支えあう仕組みは、多くの場面で必要となる。それが汚職も含めた政治合意となるのはご免だが、弱い人、貧しい地域も含めて一つの国である事を心に留めたい。(み)