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繁田一家の残党=ハナブサ アキラ=(10)

 社長はそれからも出張してきたが、ワイは国体出場で留守にしてた。課長連中からぼろ糞に怒られたけど、ワイが「社長なんか日本に何万人も居る。そやけど日本に一人しか居ない皇太子の臨席される国体出場の栄誉を得ながら、欠場するのは不敬である」と怒鳴り返したら、おそまつ課長三人組は、あきれてものも言えなくなりよった。
 その前にも、別府に原田さんが来るというので、野波七郎常務の弟で福岡支店営業課長の野波の泰っさんが「ハナちゃん、親会社の原田常務が来られるから、然るべくお迎えするように」と電話してきた。ワイはグリーン車でなく普通車から降りた訪問者を駅長の先導で駅長室に案内。茶菓を供し大型高級車エドセルに乗せ亀の井ホテルに案内した。
「何かの間違いではないでしょうか?」と国府台病院放射線科のレントゲン技師夫妻が山海の珍味を前に、おそるおそる申し出た。
「いいえ、人違いでは御座いません。ワイの同期で千葉営業所長の福島恒夫君から最高のおもてなしをする様に頼まれました」と答えた。
 福島のやつ今でも会えば必ず、このワイの人違い過剰接待の話をしやがる。
 大分県厚生部長の任期を終え、厚生省薬務課長に栄転した(本省の課長は地方自冶体の部長より格が上)鈴木さん(村松専務と慶応応援団同期)が九州視察に来た際、野波課長と博多に出来たばかりの「クラブ献上」で接待したが、鈴木さんがジントニックをエレガントに飲まれるのに眼を見張った。
 ワイはその頃ヘヤートニックは使ってたが、ジントニックという飲み物があるとは知らなかった田舎侍やった。
 鈴木課長は、この出張から帰庁直後、厚生省汚職が発覚した際に上司を庇い、毒蛇トニックを飲み自殺された。
 野波の泰っさんは、汽車の待ち時間があれば駅前の女郎屋に登楼して、一発放射してくるケネデイ大統領・司法長官兄弟の如き異常性欲者で、酔えばニコニコして機嫌よく口ずさむのは「・・・珍宝入れたる宝船、小出しに使え尽きることなし」。
 そやさかい、別府のスナック「ロコ」の弘子ママは非番の日でも、泰っさんが来ると麻雀やめて首っ玉にすがって差しつ差されつ飲み始める。女性の勘は鋭いもので、女門を悦ばせる男の見分けがつくものらしい。他の課長達が来ても、見向きもしない正直ロコちゃんでした。
 ここまで書いて氣付いたが、東芝放射線は放射(出す)ばかりで、金儲けてるのか? 現在は知らんけど、当時はどんぶり勘定で長野県松本営業所の滝口所長などは、やかましく云って来る本社の重圧に耐えかねて、架空売上計上しレントゲンを病院ならぬ寺院に納めて倉敷料ならぬ寺敷料を払ってた?
 この御仁はビクターからの移籍組、他にも金沢営業所長の太田澄夫も戦時中の慰問団あがりで営業マンと云うよりはエンターテイナー、男のくせに踊りの名取と、ちょっと変わっとった・・・。社史を編纂したのも日本ビクターから転入した並木徳之助。戦後、ビクターは東芝系から松下系に変わり、開戦時の駐米大使で海軍大将の野村吉三郎が経営した。
 九州では、中村省三氏が東芝製品修理サービスの下請けをしており、長年レントゲン業界に築かれたネットワークを持つ、この実力者の支援無しでは何事も、うまく運ばない。
 省三さんは立派な人格者で、恵まれない若者を雇い入れ学校にも行かせ自分の子供同様というよりも、自分の子供以上に可愛がり九州各地のサービスステーションに配属していた。