この日からは、二人で楽しむのが日毎に待ち遠しくなり、毎晩お互い何回も昇天し竜宮をさまよった。
それからほどなく、ある日のこと「旅費清算のお金で夏蒲団を買いました。あなたが暑苦しい布団で寝ておられるので、お金がお酒に化けるよりと思って・・。後で押入れに夏蒲団が見つかりました。無駄使いをしてごめんなさい」の置手紙。まるで夫婦気取り。
季節が変わっても万年床で、夏蒲団に取り替えなかったので、要らぬお節介をさせてしまったが嬉しかった。まったく、女心は判らんもんや!
年末年始の帰省途中、おやじの地元の高松でゴルフ。山下さんがコースの亭でビールを飲むのでワイもお相伴したまでは良かったが、結果は散々のスコア。
「飲まなくても、大してスコアに違いはないのでは?」と一緒にプレーした高松支店営業課長の平出がニヤニヤしてやがった。
この男、後日どこかで会社の同僚に「ハナさんほどゴルフの下手な人を見たことない。海には打ち込むは、バンカーでは5回叩いても出てこない」とか言いふらしあがった。まあ本当に下手やから、しょうがないけど、あんな年寄りの遊びなんか辛気臭くて、おもろないわい。
ワイは、マスターズ水泳大会70歳から74歳ブラケットで優勝し金メダルを受賞した。今でも毎日朝晩3千メートル練習中や。
地元では〝夜の帝王〟と評判のおやじは、うどん屋で金子知事に「繁さん、お帰り」と挨拶を受けた。
何軒も、はしごした後に「高橋」という小さな飲み屋に入ろうとしたところ、そこの店主が「繁が来た、猫いらず出したれ!」と、危ふく殺される破目。
高橋さんによれば、おやじは、いつでも、閉店しようと火を落とすと必ず現れるとのこと。
おやじは酔ってても「猫要らず喰わされたらえらいこっちゃ、他へ行こ行こ」。それでも、店主はなじみ客が四国に帰ると必ず飲みに来てくれるのが嬉しく、おやじの前にはすぐに酒と肴が出た。
この飲み屋の主人は、往年のホームラン王の中西太選手を高松一高に行かせたという美談の持ち主。中西は有名になってからは、この恩人に目もくれなくなったが「なにも見返りを求めて学校に行く金を出してやったのとは違う」とあっさりしたもの。その中西も、さすがにおやじには頭が上がらんのか、西鉄の試合に行くと、「おやっさん」と慕ってくる。
おやじは、巨人から西鉄にトレードされた後ろを向いて投げるピッチャーの若生も贔屓にしてた。西中洲にある九州最高のナイトクラブ「みつばち」に、おやじが目をつけてた司という源氏名のホステスが居た。
おやじは若生投手から「あの女は、お×××が臭いとチームのみんなが言うとる」と聞かされ、がっかりしていた。
博ちょんとしての赴任当初は、自ら〝やらずの繁〟と称してたものの、司をあきらめた頃から、〝やりっぱなしの繁〟を宣言し「フマキラー」ならぬ「ママ・キラー」と自称し、西中洲のバー「霧島」、万町の寿司屋「いず定」とか、あちこちのママさん連中を軒並み総なめにした。
霧島の太目のママさんを、山下さんは「とんげん」つまり豚カツの原料と呼んでいたが、気風のいい女傑で、おやじを尊敬してた。