正月明けの日に、さんさんと注ぐ陽光の甲板に日大ラグビー部のジャージーを着た男が居た。なんと、我が繁田一家の巻寿司の一級下の丹下君だったが、ホノルルで下船した。この男は現在、八丈島でリゾートの経営している。
ホノルル到着! 初めての外国、なんとゆう感激。下船した場所にある案内所の金髪の女性からレイを首にかけてもらうついでに頬っぺたにも軽く口付けしてもらった。
アメリカでは単なる挨拶なのだが、天にも登る心地。ヌアヌパリの展望台で、金髪をなびかせる娘らのグループと写真をとった。彼女らはハワイの太陽の様に明るく、日本人の様な恥ずかしさはみじんもない。あまり言葉は通じなかったが、それでも楽しかった。
ダイヤモンドヘッドやパンチボール等の観光地を回り、夜はハワイアン・ビレッジで地元料理の子豚の丸焼きを楽しんだ。9ドルの値段には高くて驚いたが、フラダンス・ショー込みのパッケージで当時の為替レートでは1ドルは360円。
明学に通っていた一人息子を亡くし、悲しみを忘れるためにハワイに来た同船者の老夫妻も、ハワイアンビレッジ内にあるヒルトンホテルにチェックインされ、夕食に来ていて思いがけなく再会した。船内で3泊し、ハワイ滞在を満喫した。
ロサンゼルスにも3日停泊の予定で、ワイ等は案内書を読み、大村一家と観光計画をたてた。大村政之さんは、フォークリフトのトップメーカー・東洋運搬機熊本営業所を退職しサンパウロ州ピンダモニアンバーガに農場を持つ実兄の許に移住し、お兄さんに仕事を探してもら予定らしい。
大村さんの勤務先が、東芝放射線熊本営業所と同じビルにあり、事務所が隣り合わせで達磨とは親しくしてた。世の中ほんまに狭いもんや、世界人類、皆兄弟!
政之さんは、岡山出身でモトラジオに行く工業移民の柳生義夫(YY)、貨物船の無線技師を辞めリオで事業をする上野さん、行く当ての無い催氏の4人で毎日日夜麻雀に没頭。大村さんと上野さんに、どうぞどうぞと言われるまま、ワイは殆んど毎晩、大村夫人の三枝子さん、上野夫人のダンス相手をした。
上野さんには可愛い女の子が居て、何年後かに再会した時にはフランスのソルボンヌ大学に留学してた。両親は日本に一度も帰ったことが無いというのに。移住しても日本人は子供の教育を優先させる。
船内で、政之君はパラグアイに行く指圧師の八巻氏に魔法をかけられたように無意識で手足をばたばたさせ痩せる療法に没頭していた。移住事業団の藤原さんの船室では創価学会の会員が集まり、お経を唱えていた。
ロサンゼルスでは藤原さんが観光バスをチャーターし、デイズニー・ランドとリトル東京に出かけた。文字通り夢のようなミッキーマウスの楽園で楽しんだ直後に、見るからにみすぼらしい日本人町に、自分の将来を暗示されたようで気分が滅入った。
後日、ロサンゼルスに転勤になって目の当たりにした、想像もしなかった超近代的に景観を変えたリトル東京は、その時期には予測もつかなかった。日本の高度経済成長が、海外の日本人の生活レベルまで上げてしまったのだろう。
翌日、レンタカーでミス・ユニバースで名高いロングビーチ周辺の高級住宅街をドライブし、夢のようなアメリカを垣間見て、もうブラジルに行かずに、ここで下船しようかなと思わないでもなかった。