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なぜ三世は日本就労できないのか=3歳から30歳まで日本育ち(3)=戻りたいのに戻れない辛い日々

日本へ行くブラジル人の日本国査証(参考写真)

日本へ行くブラジル人の日本国査証(参考写真)

戻りたいのに戻れない

 「ブラジルでの今の生活は、東京の中心地に暮らして毎月6万円で生活しなければいけないような状況です。子供に服1枚も買うことができません。日本ではありえなかった毎日です」と肩を落とすのは、日系三世のカワイ・シンジさん(仮称、37歳)。
 妻レイナさん(仮称、40歳)の父親が体調を崩したため、カワイさんは2017年に当時日本で小学4年生だった娘と3歳の息子を連れて、夫婦の生まれ故郷であるサンパウロ州モジ・ダス・クルーゼス市に戻った。レイナさんの父親は昨年他界し、今はここにとどまる理由は何もない。
 カワイさんはブラジルに着いてすぐに就職活動を始めたが、帰国してから2年後に初めて寿司屋で正式に採用された。しかし、パンデミックに入って閉店。その後、スーパーの魚屋で就職したがすぐに解雇された。
 「ブラジルに来てから本当に仕事がなく、日雇いで工事現場のアルバイトもしましたが、1日働いて賃金は50レアル(約1000円)ほど。日本なら最低限の生活が保障される仕事でも、ブラジルは全く異なります。うつ状態になることも度々でした」

3歳から日本で育って30年

 カワイさんは日系二世の父親とイタリア系ブラジル人の母親のもとに生まれた。父方の祖父母は秋田県出身で、祖母は戦前移民。だがカワイさん本人はブラジル国籍しか保有していない。
 3歳の時、両親が就労するために一緒に日本に渡り、東京や埼玉を中心に生活してきた。日本の学校で小中高を卒業し、都内の私立大学に入学したが、家庭の事情で学費が払いきれず中退した。以後、フリーの通訳、板前の修業、派遣会社を通じて自動車関係の工場などで働いてきた。
 日本語で日本の生活に困ることは何もなく、家庭ではポルトガル語を話していたため、日本語ほどではないが、ポルトガル語も日常会話や読み書きで困ることはない。
 日本で日系三世のレイナさんと知り合い、現在13歳の娘と7歳になる息子も日本で生み育ててきた。「子供たちは基礎学力を養成する大切な時期に、学校で体系的な教育を受けられなくなっています。8歳まで日本の小学校に通っていた娘は、日本の学校の方が好きです」
 目下、カワイさんが一番気がかりなのは、父親が病気で大きな手術の必要があることだ。父親は日本に身寄りがなく、カワイさん夫婦が世話をする必要がある。「査証を申請して、1日も早く日本に戻りたいです」と強く願っている。

査証申請の書類を揃えた矢先に受付停止

 カワイさんは2年前から、日本に再渡航する準備を始めた。査証申請の書類を揃えるのは費用がかさむ上、様々な証明書や過去のものを含めた30枚ほどの写真も必要で、予想以上に時間を費やした。
 また、以前は必要でなかった「在留資格認定証明書」が在サンパウロ総領事館管轄地域でも必要となった。これは外国人(日系ブラジル人を含む)が査証申請時に必要とされている書類の一つで、取得するには、日本在住の親戚が「保証人」となる必要がある。カワイさんは日本に父親がいたので取得できたが、日本に親戚がいない場合、この証明書の取得は障壁となる。  カワイさんがブラジルと日本でようやく書類をそろえた段階だった2020年12月28日、日本政府は査証申請の受付を停止した。それ以来、査証申請すら進められない状況が続いている。(続く)