早く母と一緒に暮らしたい
グアルーリョス市在住の日系三世鈴木アンナさん(仮称、18歳)は、母親が3年前から日本で就労している。2019年の年末から1カ月間、当時は富山県にいた母親を訪ねて日本へ旅行した。
「母と一緒に日本で過ごしたいと言いましたが、ブラジルの高校を卒業してから来た方が良いと言われました」
母と日本で生活するのを心待ちにし、ブラジルでは祖母と2人で暮らしてきた。2020年に高校を卒業し、今年5月には日本で就労する査証申請ができるだろうと、淡い期待を抱いてきたが、今年も年末を迎えようとしている。申請書類は今年初めに全てそろえ、日本語を勉強しながら日本に行ける日を待ち続けている。
母親は現在、日系ブラジル人も多く暮らす島根県出雲市の村田製作所の工場に勤務している。鈴木さんはそこで母親と一緒に暮らし、働く予定だ。
ブラジルでの祖母との生活は穏やかで、ブラジルも日本も好きという鈴木さん。しかし「ブラジルはいくら働いても、生活に追いつく賃金を得るのが難しい」という。
日本で2年ほど働いた後は母親とブラジルに帰国し、大学に進学したいと考えている。ビジュアルアート制作に興味があり、日本の文化や生活にも好奇心でいっぱいだ。
日伯で社会人経験を積み、日本を選ぶ
日系ブラジル人三世の原田マルセロさん(仮称・41歳、パラナ州マリンガ出身)は、高校卒業後、2001年から2012年まで三重県伊勢市の横浜ゴムの工場に勤務していた。
日本で働いている時、同郷の妻ヒロコさん(仮称・40歳)と知り合い結婚。2012年には祖母の体調が悪くなったため、久しぶりに家族のもとで生活したいと思い、一旦マリンガに帰国して、写真家として仕事を始めた。
結婚式やイベントでの撮影を手掛けてきたが、コロナ禍でイベントは開催できず、仕事は激減。現在は妻と7歳の娘の3人で、貯蓄を切り崩しながら生活している。
マルセロさんは1年前から地元の日本語学校に通って週4回、毎回3時間の日本語授業を受けている。「妻の方が日本語は上手で、彼女はもうすぐ日本語能力試験の3級を受けます」
マルセロさんは日系二世の父親とイタリア系ブラジル人の母親のもとに生まれ。日本人移民だった祖父は、敗戦で日本にはもう帰国できないと思い、息子には日本語を教育しなかった。そのため、マルセロさんも子供の時には日本語を学ばなかった。
「伊勢市で働いていた時がとても懐かしいです。日本人の友人はとても良くしてくれて、皆でいつもシュラスコをしていました」
コロナ禍の前から日本行きの準備をはじめ、ヒロコさんの兄弟やいとこが働いている島根県出雲市で働く予定でいた。2020年12月に就労に向けて査証申請したが、2020年12月28日に日本政府が全ての国・地域からの新規入国を拒否し、査証申請の受付を一時停止したことで、査証を取得できない状況が続いてきた。
「日本で11年、ブラジルで9年仕事をして、日本の生活の方が良いと思いました。治安も良く、娘の教育にも日本が良いと思いました。本当は2021年4月に、娘を小学1年生から入学させたかったです」と、一番の懸念は娘の教育である。
今後の日本の入国制限について
サンパウロ総領事館は、「WHOは11月26日に、『オミクロン株』を懸念される変異株に指定をいたしました。よって、緊急避難的な予防措置として、「水際対策強化に係る新たな措置(19)」を停止しております。これらはオミクロン株についての情報がある程度明らかになるまでの念のための臨時、異例の措置となります」と発表。
先月11月5日に「審査証済」の書類を追加することで再開できた査証申請を、12月2日から12月31日まで、特定のケースを除き、再度、新規査証申請受付を停止させたことを説明。
今後の動向は、オミクロン株の様子次第になりそうだ。
コロナ禍の影響により、予定していた日本での生活が足止めされ、ブラジルでの生活が瀬戸際に立たされている人々がいる。
しかし、変異株の感染状況により、日本政府が講じる措置も、一進一退を繰り返す可能性がある。最新情報に基づき、日本政府が査証申請の扉を開くことで、1日も早く日本で平穏な日常生活を送りたいと願う日系三世や、人材を必要とする日本の経済界の願いが叶う日を待つばかりだ。(大浦智子記者、終)
(*オミクロン株の影響により、日本政府の「水際対策強化に係る新たな措置」の内容は短期間で変更される可能性がある。在聖総領事館に直接問い合わせるかサイトで最新情報をご確認ください)