2010年4月のチラデンチスの日、コラム子はサンパウロ市での生活を始めた。その2年前に結婚したブラジル人の妻についていく形でだった。
日本では音楽関係の仕事をフリーランスでやっていた。日本ではブラジル音楽の人気が非常に高く、コラム子の周囲にもファンが少なくなかったが、コラム子も妻も音楽そのものは大好きだが、ブラジル音楽にそこまで強い思い入れはなかった。
それは妻から「日本で好まれているものなんて、実際にブラジルに来てみれば流行っていないことはすぐにわかる」と何度となく言われていて、それに「まあ、そういうものだろうな」と思っていたから期待値が上がらなかったというのもある。そして、コラム子がサンパウロ市で見聞きしたものは、実際に妻の言う通りだった。
だが、好き嫌いとは別の観点からブラジル音楽の流行が気になった。それは、この国の人気音楽の2分状態だった。「それしか巷ではかかってない」と言っても過言でさえない。方や農村地帯の白人起源、もう一つが大都市郊外の黒人の若者起源のそれだ。「なぜこのように両極の出自を持った音楽が圧倒的人気なのだろう」と不思議でならなかった。ブラジル伝統のサンバやMPBの大物アーティストや英米からのロックやヒップホップもそれなりに聞かれてはいるのだが、大衆的にはセルタネージャとファンキが圧倒的で、その隙間に入る余地がない。すごく不思議だった。
だが、2011年にニッケイ新聞に入ってから、ブラジル内の翻訳記事を10年以上書いて社会を知っていくうちに気づいたことが出てきた。「ああ、これは政治の分断を先取ったものだったのだ」と。保守的な白人と貧しい家庭環境で育った黒人の若者。これはまるでボルソナロ氏をはじめとした極右勢力と、ルーラ氏を中心とした労働者党との対立そのものではないかと。
そして、奇妙な偶然を思い出した。2000年頃、米国の若者の間で極度のミソジニー(女性嫌悪)を声高に叫ぶ暴力的なロックや、金髪のロングヘアでやけに男性に媚びを売ったような女性スターが知性のなさを日常で暴露するテレビ番組といったものが、保守的な白人の若者のあいだに比較的短期ながらも爆破的にブームになったことがあった。同国でトランプ政権が生まれたのはその15年ほど後のことだった。「音楽は世相を反映する」という言葉があるが、「後の政治状況を予見する」ものではないかとコラム子は考えるようになった。
ただ、そういう極めて内向き状況がブラジル音楽を閉鎖的にさせ、国際市場どころか南米音楽界からも蚊帳の外になっている状況も、昨今の商業実績や音楽賞の結果に現れてきている。さらに言えば、古き良きブラジル音楽の伝統も生きていない。今のブラジル音楽、そして社会に必要なのはそうした状況を気づかせるものではないかと思っている。(陽)