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連載小説=日本の水が飲みたい=広橋勝造=(159)

 更に一時間後、祭壇の蓮の上に天眼通の術を介した千里眼像が再び現れた。場面は日本料理店の座敷で、男が空になった酒ビンを女に見せ、女は頷きながら引き下がった。三分ほどして、女が酒ビンを持って現れた。男は襖を閉め、左手で女の手を取り、女の身体を後ろ向きに引き寄せ、素早く右腕で女の首を締めると同時に手の平で口を塞いだ。一瞬の出来事で女は悲鳴も発せなかった。
《村山先輩! あれを見て下さい! 大変な事に》
《拙者達も参加しようではないか!》
 村山羅衆は《南無釈迦如来、南無大日如来、南無阿弥陀如来、南無薬師如来、南無阿閦如来、南無不空成就如来、南無宝生如来、・・・》知ってる限りの仏の名を連ねて懇願した。
《村山羅衆、何で『南無』を付けるのですか?》
《『南無』とは、イスラム教でも使われる梵語(古代インドの文語)のnamasの音訳で、深い尊敬の意だ。ぐつぐつ言わず、おぬしも拝みもうせ!》
 古川記者の実況放送が始まった。
「蓮の上の千里眼像では、森口が女の白い首筋の動脈を圧しています。あっ、女がぐったりと!・・・、ああっ! ぐったりとなった女の身体に強く巻かれた着物を割って、森口の手が! うっ! ちくしょう! このままでは女がやられます! どうにかならないのか! あぁ~!」
「距離が遠すぎて。それにエネルギーが足りません」
「このまま成り行きを見守るだけでしょうか」
 中嶋和尚と黒澤和尚は、密教の呪文に身体を震わし、集中した。しかし、天眼通(てんげんつう)の術を介した千里眼像に写る森口は思うがままに悪行をエスカレートしていった。
「手の打ち様がありません! もう、あきらめるしかない様です」古川記者の悲観的なコメントが本堂に響いた。

第三十一章  精霊

 その時、一つの霊像が古川記者の前に現れた。
《(フルカワ、捜したぜ! 日本人の溜まり場を捜しているうちに、東洋街の霊に捕まり中途半端な霊になってしまった)》東洋街で古川記者にお金を借りた強盗であった。
『(パウロ!?)』
《(見ての通り、犯した罪が祟り・・・)》パウロが腹のド真ん中の傷を見せた。
『(殺されたのか?)』
《(これで報われるのなら、と立派に死んでやったぜ)》
『(困った時には俺を捜せと言っただろう! 死んで俺を捜したって、なんの意味がある)』
《(地獄に落ちる前に、一言お前に詫びを言っておこうと・・・)》
『(俺に詫び?)』
《(ああ、お前が貸した金だ。返せずにすまなかった。あれ程嬉しい金はなかったぜ)》
『(タバコで返したじゃないか。あれほど美味かったタバコはなかったぞ)』
《(それだけでなく、あの後、俺が改心した事を伝えたかった)》
『(改心?)』
《(お前との対話で俺は始めて他人と心が通じたのだ。俺の心を癒し、なぜか、忘れていた母を思い出し、未練で迷っていた母を救う事が出来たのだ。その母が是非お前に会いたいと、一緒に・・・)》
《(フルカワさんですか、ありがとう。私が亡くなって一人ぼっちになったパウロは人の温かさに触れる事なく心が荒廃していました。そんなパウロにフルカワさんが心温まる一言をかけて下さった事でパウロの心が癒され、どんなにパウロは嬉しかった事か。本当にありがとうございました。私もこれで安心してあの世に行く事ができます)》
パウロの母はブラジル式のアブラッソ(抱き包む)でお礼をした。そして、パウロにも長いアブラッソで別れをして背を見せずに消えた。