(情報は2014年3月時点)
ペルナンブッコ州
ブラジル北東部(ノルデスチ)の州で、1500年のブラジル発見後、最も古くからポルトガルによって植民地化され、数世紀にわたり砂糖貿易によって、オリンダを中心に栄えた。1630年~54年の24年間オランダによって占領された後、ポルトガルが奪回し、レシフェに都をおいたことで、かつて漁村だったところが街として生まれ変わった。
美しい海岸線が観光客を惹きつけるが、内陸の大部分はセルタン(半乾燥性の過疎地帯)で、過酷な生活を強いられる貧しい地域でもある。
州都レシフェ(“岩礁”という意)
人口160万人を誇るバイーア州サルバドールに次ぐ北東伯2番目の都市。
軍関係の施設、エレトロブラス、ケイロス・ガルボンなどの大企業を始め、日本企業ではニチレイなどが進出しており、ブラジル最大級のスアペ港を中心に、近年臨海工業都市として急速に発展した。日本国駐在官事務所もある。
もともとはトゥピー語を話す先住民カエテー族が居住しており、ポルトガルの占領によってサトウキビの栽培が始まる以前は、赤い染料がとれるパウ・ブラジルの交易が盛んだった。
1537年に町は始まり、アラブ系やユダヤ系移民の影響も建築には強く残されるなど、多文化な歴史を持つ都市でもある。街は主に3つの島から成り、運河と橋が多いのが特徴。
ブラジルの伝統文化発祥の地域にあり、文学、音楽、民芸などの豊かな文化が根付いている。巨大人形とともにフレヴォ、マラカトゥ、フォホーなど様々な音楽で街を踊り練り歩く参加型のカーニバルが有名。
市内のおもな見所
[su_list icon=”icon: map-marker” icon_color=”#3fa416″]- 街の原点マルコ・ゼロ
- 古い建築が残るボン・ジェズス通り
- 南米で初めて設立されたというユダヤ人の集会所シナゴーグ
- 民芸品市場があるアウファンデガ広場、サンジョゼ市場など。
- ペルナンブッコカーニバルの名物巨大人形を展示するエンバイシャーダ・ドス・ボネコス・ジガンテス
- フレヴォ博物館
- レシフェの守護教会カルモ教会
- サン・フランシスコ教会
- 「星の王子さま」作者サン・デグジュペリにひらめきを与えたという、バオバブの木があるヘプブリカ広場
- ボアヴィアージェン海岸
“鮫に襲われる危険なビーチ!?”
都市と臨海工業地帯の発展により環境破壊が進んだこと、付近の川の上流にある魚の加工場からでる残骸や血、さらに一帯に繁殖地があるなどの複数の要因が重なり、サメが人間のいる海岸付近に出没し、近年、市内の海岸は“サメが出没する危険なビーチ”として有名になってしまった。
92年からの約20年の間に59件の襲撃事件が発生し、その約半数で死者が出ている。観光局関係者によれば、その多くはルールやライフガードの警告を無視して、入水していたからだという。満潮などいくつかの条件が重なると危険で、それらを踏まえ海岸付近ではライフガードを配備し、海に入る人にオリエンテーションをしているので、ルールを守れば危険は回避できるものだという。
入水を控えるよう言われる条件としては以下
[su_list icon=”icon: times” icon_color=”#c50e0e”]- 保護ネットのない海域では泳がないこと
- 満潮時、特に新月と満月期
- 夜明けや夕暮れ時
- 河口付近
- 腰上以上の深い海域
- 雨などで海水が濁っているとき
- 一人のとき
- 怪我などで出血しているとき
- アクセサリーなど光りものをつけているとき
- 飲酒しているとき
レシフェの“顔” ブレナン氏の陶製オブジェ
「オフィシーナ・ブレナン」(陶器アトリエ工房)
レシフェの空港に降り立った瞬間から、同じような作風の陶器でできたオブジェが目に付く。よく見れば、マルコ・ゼロをはじめ、街のいたるところに作品がある。作者は、フランシスコ・ブレナン(1927~)。1870年に英国から来伯した家族の子孫で、かつての家族が営んでいた製陶工場の跡を、アトリエとした。
タイルや陶器のオブジェを多数制作。ピカソやガウディの影響を受けた独特な作風で、性的描写もあるとして論争を巻きおこしたこともあるが、街のいたるところに作品が飾られ、レシフェの顔とも言える存在だ。
「オフィシーナ・ブレナン」では、今なおフランシスコ氏が作品づくりを行っており、アトリエを歩いていると本人に出会えることも。
絵画も含め、2000点を超える作品が、1万5000平米の敷地に工夫を凝らして展示されており、見ごたえがある。
世界中の刀剣が集まる城~サンジョアン城
「インスチトゥート・リカルド・ブレナン」
フランシスコ・ブレナン工房美術館の敷地の隣には、いとこのリカルドが収集した中世時代の世界中の刀剣・武器をはじめ、多種の芸術作品が6000点以上展示される「インスチトゥート・リカルド・ブレナン」がある。建物はヨーロッパ中世の城をイメージして建てたというサン・ジョアン城。
ピナコテカ内には、17世紀、植民地時代のブラジルの風景を描いたオランダの画家アルバート・エクホウトとプランス・ポストのコレクションや、その時代の地図や歴史資料の数々も展示されており、史料館としても見ごたえのなる施設だ。
http://www.institutoricardobrennand.org.br
W杯日本の第1戦(対コートジボワール)の会場
イタイパーヴァ・アレーナ・ペルナブッコ
複数の会場で工事の遅れが指摘されているが、「ここは準備万端!」と自信満々なのはアレーナ・ペルナンブコだ。昨年のコンフェデレーションズ杯でも会場として使用され、市街地からの遠さや交通機関の不便さが指摘されたが、「それらの反省をもとに調整し、当日はスムーズに観客を迎えたい」とペルナンブッコW杯特別局(SECOPA)広報官は語る。
州都レシフェ中心地から約19キロ離れたところに位置する。混沌とした市街地ではなく、あえて郊外にスタジアムを建設した。試合日は、会場から半径約3キロの範囲に、国際サッカー連盟(FIFA)より許可のない車は入ることができない。
主な行き方は次の通り。
(1)市内より鉄道を使って最寄駅コスメ・エ・ダミオン(スタジアムから2.5キロ)まで行き、チケットを見せて、無料シャトルバスを利用する。
(2)市内から東西を走る高速バス(BRT=Bus Rapid Transit)を利用する。
(3)車やタクシーの場合、市内の主要ショッピングセンターには駐車場が確保されるほか、それらを含む7カ所にバス停留所ができ、バスが会場間を行き来する。
日本語を含む多言語でそれらの情報をまとめたパンフレットを準備しており、空港やホテル、観光案内所等で配布されるとのこと。
試合のある6月は雨季にあたり、雨が予想されるため、雨合羽を無料配布することも検討されているというが、その準備をして会場入りするに越したことはなさそうだ。
★レシフェから近い名所
古都オリンダで歴史辿る アーティストの集う街
古都オリンダは、レシフェからバスで30分ほど。
1535年、ポルトガル人によってつくられた街。ブラジルで最も古い町並みが保たれているといわれ、82年にはユネスコの世界文化遺産に登録された。坂が多いが、徒歩で散策するのが楽しい。
みどころは、奴隷貿易を行っていた時代の奴隷小屋のある大邸宅跡や、丘の上に位置するセー広場、北東部で初めて建てられた教会のセー教会をはじめ、古い教会の数々など。高台からはレシフェの街が見渡せる。
アンパロ通りを中心に広がる町並みは、ひとつひとつ色の違うカラフルな建物が並び、歩いているだけで楽しい。かつて、通りに番号がなかった時代、建物の色で識別していたのだとか。
現在は、300以上に及ぶ、アーティストたちがアトリエを構えており、市ではアトリエ紹介を中心にしたガイドブックも刊行している。
プラッサ・ド・カルモに観光案内所があるので、そこから歩き始めるのがよい。
国内有数の美しい海
ポルト・デ・ガリーニャス
レシフェから海岸線に沿って60kmほど南下したイポジュカ市にある。ブラジル発見当時、この地域はパウ・ブラジル(赤い染料として使われた)が豊富に採れることが由来で「ポルト・リコ(=豊かな港)」と呼ばれていたが、奴隷貿易が禁止された後、この港に入る船に「鶏」の暗号で奴隷が運ばれたことが、「ポルト・デ・ガリーニャス(鶏の港)」の名称の由来。
質素な漁村だったが、その海の美しさが注目され、観光雑誌の特集で、10回連続「ブラジルで最も美しい海」に選ばれたこともある。
その魅力はなんといっても、引き潮のときにできるコバルトブルーの天然プール、タツノオトシゴが生息するマングローブ原生林、そして海亀が産卵に訪れる海岸など、自然を体感できること。
全長約20キロに及ぶ海岸沿いにホテルや民宿が並ぶが、10月から6月にかけて海亀が産卵に訪れることから、海岸沿いには灯などを一切使用しない。月明かりに照らされた海は幻想的で、非常に静かで心の安らぐ場所だ。
ポルト・デ・ガリーニャスまでの交通
レシフェの空港からタクシー相場がR$120くらい。1時間~30分間隔で出る高速バスもある。R$10,40。
主なホテルなどがある地域からセントロ(街の中心)まで約10kmあるが、公共交通機関がなく、移動はタクシーやホテルの乗り合いバスなどを使用する。