赤間学院名誉会長の赤間アントニオ晃平さんが27日午後5時にサンパウロ市ジャバクアラ区のサンルイス病院で急性呼吸不全により亡くなった。享年84。28日にサンパウロ墓地で葬儀が行われ、埋葬された。ミサは6月2日午後6時からサンフランシスコ・デ・アシス教会(Rua Borges Lagoa, 1209 – Vila Mariana)で行われる予定。
赤間重次・みちへ夫妻の間にカフェランジアで生まれる。同夫妻は33年にサンパウロ市で赤間裁縫学校を始めた。晃平さんは39年、9歳の時に訪日して教育を受けたが、40年の父の死で帰伯し、みちえさんは同校を戦争中も守り通した。晃平さんは65年に馬場エウザさんと結婚した。
現在では日系コレジオは珍しくないが、71年に同裁縫学校が「コレジオ・ピオネイロ」に生まれ変わった当時は、他にない先駆的な存在だった。晃平さんらが経営にたずさわり、現実に拡大する中、2001年に高校部開校、2003年ノヴァ・グアピアス分校開校と発展し、延べ2千人以上の卒業生を社会に送り出してきた。
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