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連載小説=子供移民の半生記=家族みんなで分かちあった=異郷の地での苦しみと喜び=中野文雄=18

 来たと思ったら、鶏の羽根を方々に10本位立て、1時間ほどしたら1本1本を注意深く見て、水分がついている羽根を探し回り、その場所に水脈があると教えてくれた。家から10メートル位の場所にあったので、そこを掘ると言う。場所としては申し分なく、何メートルぐらいで水が出るかと聞いたら、10から12~3メートル位で確かに出るはずだと、そして一週間足らずで出来るといった。
 また、1千個の煉瓦を買って置くようにと指示をくれた。耕地に煉瓦工場があるので早速耕地に行き、支配人に注文したら、「支払いは棉の収穫後で良い。2、3日の中に届けるから」と快く返事をしてくれた。後は結果を待つばかり。
 手法は原始的で信用ならんような、科学的にはどうもという気がしたが、永年の井戸掘り職人だそうでまあ、待ってみるより外はなさそうだ。
 果たして鶏の羽根の占いは確かなものだった。12メートルで水が沸いてきた。雨季になったら水量は増すので、我が家程度の大家族に少し位の家畜だったら充分、と太鼓判を押してくれた。早速引越しを終わらせ、植え付けの用意に取り組んだ。
 いよいよここからが本番だ。山は申し分なく焼けているから枝打ちだけだった。大木は耕主が売り片付けてくれるので、仕事も楽になり都合が良くなる。棉の種を蒔くのも何回かに分けて蒔くのだが、10月の20日ぐらいまでに蒔き付けが出来れば良いので急ぐ事はなかった。
 それにしても自然とは何と逞しい物か。あれだけ黒焦げになった木の株からは、すでに青々とした芽が出始めていた。驚くべき生命力だ。それも1本や2本からではなく全ての木々から若芽たちが顔を出していた。
 人間も同じ逞しい生命力を持って世界に栄えてきた。日本人もブラジルの地に生きて栄えなければならない。住むべき家は出来た。生命の泉も湧いている。さあ、やるぞ。日本人の繫栄のため、我が家の為。原始林に斧を入れ、その土地を開墾してブラジルの富を、ひいては我が家の富を。
 土地の良さや手入れの良さに青々と棉は成育していった。綿花を10年余りやってきたという大塚さんが、アルケール当り200アローバ以上だと見通してくれた。
 7アルケールで少なく見積もって1500アローバ。借地料が2割で300アローバ。手取り1200アローバと見て、青田借りも持ち前の二宮金次郎根性で出来るだけ切り詰め、経費を押さえ、その結果として来作の営農資金の確保も出来そうだ。財的の潤いは心のゆとり。何よりも仕事の励みになっていた。家の今の労働力では、もう1アルケール分の余力はあるが、肝心の土地はなく、現7アルケールを余力を持って守るしかない。
 昔の人の言い伝えのように、明日の百より今日の五十と言うから、来年を欲張るより今の7アルケールを守ったほうが良いのかもしれない。今年は1500アローバ余だったので、来年の作にはもっと力を入れて手入れをし、収穫が更に増えるように方法を探し、作業を入念にしよう。
 それより今は、家族の健康に気を配りたい。母の望みだった山羊は、いまだに飼う機会がなくそのままになっているし、味噌も忙しさにかまけてお隣の福島県人の渡辺さんに分けて貰っている。
 渡辺さんは東北の寒いところで育ったせいか、南で育った我が家には塩分が少し強い。でもおいしい味噌なので食べさしていただいて申し分はない。