13日、約1カ月にわたってブラジルで開催されたサッカーのワールドカップが終了した。開催前に諸々のことが懸念され、ブラジル代表(セレソン)も優勝を逃したが、大会自体は国際的に盛り上がり、経済効果も300億レアルにはなると伯字紙は報じている。そんな山あり谷ありだった今回のW杯を振り返る。
スタジアムや空港や交通などのインフラ整備の遅れや未完成は、開催前に多くの不安を国の内外に投げかけていた。14日付エスタード紙によると、2010年に連邦政府が公表したプロジェクトは83あったが、実際に手がけられたのは71に過ぎなかった。そして、政府の見積もりも甘く、当初235億レアルの予算が、実際には292億レアルにまで膨れ上がった。また、多くの都市で軽量鉄道(VLT)の建設が頓挫したり、空港拡張などの工事が未完成で終わった。
準備の遅れや増大する経費は国内外で不安を呼び、13年6月のコンフェデ杯の頃から全国的に広がったW杯反対運動の一因にもなった。6月12日にサンパウロ市イタケロン・スタジアムで行なわれた開幕試合ではジウマ大統領に野次が飛んだ。
だが、W杯がはじまってみると、スペイン、イングランド、イタリアなどの強豪国の早期敗退といった番狂わせや、得点王に輝いたハメス・ロドリゲス(コロンビア)らの新たなスターの出現が相次ぎ、ルイス・スアレス(ウルグアイ)の選手噛み付き事件などが国際的な関心を呼んだ。
また、アルゼンチンから10万人、米国から8万人以上が観戦に訪れ、6月の国内での観光人数は69万1900人と昨年同月の2倍以上の数字を記録した。懸念されていたような大きな混乱は起きず、観光客からはブラジル人のもてなしが大いに評価された。
こうした流れを受け、国際サッカー連盟(FIFA)は7月に入った頃に「成功」との判断を下し、落ち込んでいたジウマ大統領の大統領選での支持率も盛り返していた。抗議活動の波もかなり沈静化していた。
だが、8日の準決勝でセレソンがドイツに1―7で大敗して国民が意気消沈すると、同日のサンパウロ市でバス20台以上が焼き討ちにあうなどの混乱も生じた。決勝の行なわれた13日も、会場のマラカナン・スタジアムの近くで400人ほどの集団が抗議運動を行なおうとして軍警に鎮圧された。また、ジウマ大統領は優勝杯授与時にも野次を浴びた。
だが、14日付ニューヨーク・タイムス紙が「グラウンドの中を除けばブラジルは成功した」との記事を掲載したように、国際的にも今W杯は成功との印象が強い。
また、14日付フォーリャ紙によると、W杯効果で国に300億レアルの収益がもたらされる見込みだという。これは国内総生産(GDP)の約0・6%に相当し、経済低成長が予測される14年の経済を多少は助けるはずとの見方が強い。
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