新年特集号
ニッケイ新聞 2012年1月1日付け
昨年9月末に行われた第1回クイアバ七夕祭り。念願の祭りを開催するに至るまでの経緯を、実行委員長を務めた地元の戦後移民、尾崎堯さん(76、秋田)に聞いた。尾崎さんはマット・グロッソ州都クイアバ市から北北東に約500キロ先、和歌山県人の松原安太郎によって開設された「リオ・フェーロ植民地」の入植者だ。現在日系人口約400家族の同市には、同植民地とそこから78キロ手前の「カッペン植民地」への入植者が多く移り住んだ。同祭りで尾崎さんと、市内に住むカッペン出身の山内義寿(82)、真寿さん(73)兄弟が再会を果たした。彼らの軌跡を軸に、同地コロニア史を垣間見た。
松原安太郎はサンパウロ州マリリアで大農園を営み、懇意だったジェトゥリオ・ヴァルガス元大統領から中西部への4千家族の日本移民導入を許可された。尾崎さんによれば「ヴァルガスは週末に松原さんの農園を訪ねたりしていた」という。
シャッパーダ・ドス・ギマランエス郡に属する40万ヘクタールの土地に、松原一族による植民会社「Colonizadora Rio Ferro Limitada」(リオ・フェーロ植民会社)が52年8月に創立され、州から植民地建設と分譲の委任を受け、本格的に開拓事業に取り組むこととなった。
Pプルデンテに半分売却
松原が植民を受託したことが伝わると、サンパウロ州プレジデンテ・プルデンテの日系人から、「部分的にでも譲ってほしい」との申し出があり、半分の20万ヘクタールの開拓権を割譲した。
Pプルデンテの人々は「マリオポリス農畜林産開発産業組合」=略称カッペン=を組織し、邦字紙で入植者を募り、先発隊を現地へ送った。このいわゆる「カッペン植民地」はリオ・フェーロから78キロ手前の場所だった。
リオ・フェーロ植民会社は100アルケールずつ小分けにして売り出した。尾崎さんも1ロッテ購入した。主にパラナ州に住んでいた人々が購入し、買っても入植しない「不在地主」も多かったという。
両植民地ともゴム栽培を目論んでいた。ゴムの木は通常5、6年経って採取可能となる。それまでコーヒーや胡椒で現金収入を図る方針だった。その他カカオやパラー栗、グアラナなどの生産物はあるが、ゴムを主軸にコーヒーとピメンタを主要三作物とするというのが当初の計画だった。
ゴム、珈琲、胡椒の計画
尾崎さんは54年12月、20歳で渡伯した。パウリスタ延長線のサンパウロ州ドラセーナに入植、コーヒー園を購入したが55年に大霜に見舞われて処分し、前年に視察に訪れていたリオ・フェーロに移った。
クイアバ市内からは離れていたが、管内だったために「クイアバ日伯文化協会」という団体を56年12月9日にそこに設立した。尾崎さんは会長を長年務めた。
入植後、尾崎さんはゴム栽培に従事したが、土地は強度の酸性だった。「石灰を入れて中和する必要があった。鬱蒼とした原始林で、広くて肥沃な土地だと思ったけど、耕してみると全然だめだったね」と笑う。
3年で実がなるコーヒーを栽培して一度だけ収穫した。「鉄道も何もないところを、何人かでカミニョンを運転してサントスまで運んだ。雨が降ると道がぬかるんで走れなかったから、あちこちで止まりながら一週間かけて行ったんです」。
「最初に入って最初に出た」
58年頃にコーヒー価格が下落して見切りをつけ、63年にクイアバ市内へ出た。「最初に入ったのも私だが、最初に出たのも私でした」。リオ・フェーロには現在も数家族が住んでいる。
尾崎さんが出てきた当時は既に約50家族がクイアバ市内に住んでおり、リオ・フェーロやカッペンから出てきた人を中心に日系社会は形成された。カッペンからは多くがカンポ・グランデへ移動したが、クイアバに出た人も少なくなかった。90年代からはパラナやサンパウロ州から人が移り、多くが商業に従事。徐々に数が増え始めた。
80周年からの夢実現へ
尾崎さんは88年に訪日し、名古屋市で人材派遣会社を経営したが、08年のリーマンショックで大打撃を受け、9割のデカセギが帰国する事態になり、見切りをつけて昨年帰伯した。
同地では58年の移民50周年を皮切りに、節目の年ごとに祝った。80周年で七夕祭りを開催しようと夢見たが、州政府から予算が出ず叶わなかったという。
大部一秋在聖総領事から「何かイベントをクイアバで」という相談を受けたのが昨年12月。州政府から10万レの予算が下り、念願の七夕祭りが実現した。「来年は本来の七夕の季節に見合う時期にでも開催したい」と尾崎さん。
リオ・フェーロに入植した理由を聞くと、「中西部に入った人は、本当の意味で野心家だったんだろうね。私も、あまり人がいないところに行きたかった」と笑った。
(註=リオ・フェーロ、カッペン両植民地に関する記述は、尾崎さん、山内さん兄弟からの聞き取り、『消えた移住地を求めて』(小笠原公衛著、人文研、04年)を参照した)。