ニッケイ新聞 2012年1月17日付け
望郷という酒精分の濃い感情ついて、あまり深酔いしない程度に吟味してみた。長い異郷暮らしのせいか、年老いるにしたがって望郷心が募る。【望郷】「故郷を慕い望むこと」とは広辞苑の解釈だが、想い出されるのはほとんど年少の頃のことばかり。その時々の周囲の情景まで合わせ、色彩も鮮やかに記憶の古層から蘇るのだ。
これはどうしたことか。古希は過ぎたものの、オムカエの予兆だとはまだ思いたくない。
望郷と類似した郷愁のほうは、個々のモノ、コトに対するわりと理性的な感慨だろうか。里山の鎮守の森を右代表とし、故郷の山河や軒を低く連ねた旧市街や立ち食い蕎麦屋のある古い駅舎とか山菜やキノコ料理のはてにいたるまでに八百万の神のごとく宿っているのが郷愁にあたり、望郷はこれらの諸々を集めた総体を指すといえるかもしれない。
ぼんやりと、こんならちもない思いに浸っていたある日、東京に住む旧友からEメールが届いた。
「われらの人生最後の機会となるであろう中学時代の同期会が開かれる」。この誘い文句、訪日の口実としては名分の立ち具合がやや弱いが、日本行きのほうは最後の機会となるかもしれないのである。
頃合いをみつけて家人に話し、準備に入った。
しかし、最後の訪日と決めつけるのは少し弱気か。限りなく最後に近いのは確かだが、まだ体力、気力にはかろうじて余裕がある。ただしこの二つながらを維持できる期間は、そう長くはないだろう。それだけに今回の訪日はいっそう意義あらしめたい。
熟慮の末のわりには浅薄なことに、思い立ったのが「望郷列車」であった。まずは、積年の望郷心を故郷でじっくり癒し、その後あちこち旅をしてみたい。各地の温泉にもつかりたい、有名駅弁も食ってみたい、八百万の郷愁を満載させて望郷列車を走らせたい。
しかし望郷列車では、タイトルがどうも演歌的すぎる。演歌は嫌いではないが、今回の汽車旅には非演歌的感懐も盛り込んでみたいのである。
しばらく考えて、だいぶ以前文協古本市で買い求めた『阿房列車』(三笠書房刊)を思い出した。ドイツ文学者にして随筆家の内田百閒の著書だが、鉄道オタクの開祖のような御仁で、日本全国をくまなく汽車旅しては連作形式で雑誌に発表している。
題名になぜ阿房を冠したかについて、作者の見解は素っ気ない。行く先に何の目的もなく、阿房のごとくただ汽車に乗ってばかりいるからのようだ。たしかに、各地の名所を訪れたり名物に舌鼓を打つ記述などまったくみられない。それらは汽車旅の純粋性を損なうばかりだと、峻拒する姿勢すらうかがえる。もっとも、車中や行く先々の宿屋でも酒杯だけははなさない。
同業の高橋義孝氏などは、『阿房列車』を第一級の紀行文学だと評して賛辞を惜しまぬが、文学音痴のわたしとしては、鹿児島くんだりまで出向いても旅館に閉じ籠って飲み続け、翌日はもう折り返しで東京に戻るといった「旅行記」に、やや呆れる思いをした記憶だけが残っている。
60年前に上梓された『阿房列車』は玄人受けのする作品なのか、しばらくして第二阿房列車を自認する人物が現れた。旧帝国海軍大尉にして高名な作家の阿川弘之氏である。ただし国内で阿房列車を走らせるのは百閒師匠に僭越だと思われたか、『南蛮阿房列車』(新潮社刊)と銘打って海外諸国を回り、該博な知識を蒸気機関車の煙のごとく盛大に吐き出している。
わたしもアホウの名を借用することにした。ただし、秦の阿房宮ではないが、どこか風趣のある阿房という字は控え、ただの『望郷阿呆列車』とした。阿呆のごとく単純に、そう、このタイトルで出発しよう。