ニッケイ新聞 2012年1月24日付け
あの銀白色の腹と数条の濃青色の腺が走る活きのいいカツオが魚屋に並ぶのは12月のことが多い。素堂の名句「目に青葉山ほととぎす初鰹」のように日本でも夏のものであり、江戸っ子も大好きだった。鎌倉沖で獲れたのを夜を徹して深川の魚河岸に運び大名や豪商らが買い求めたのだが、値段は途方もなく高い。そこで川柳は「目と耳はただだが口は銭がいり」と辛辣である▼文化9年(1812年)、江戸の魚河岸に鎌倉鰹が入荷したときに歌舞伎の中村歌右衛門は1本を3両で買い求め部屋役者に振舞ったの記録が残っているが、あの頃、女中さんの1年の給料が1両2分ほどだから—こんなに高くてはとてものほどに庶民の口には遠い。それでもか、女房を質に入れてもカツオを買え—と囃たてるののが江戸っ子らの粋なのである▼鰹といえば、1本釣りが日本の得意技であり、子どもの頃—先の津波で多くの市民を失った気仙沼港(鰹の水揚げが多い)で夕方などに鰹釣船の甲板に陣取った若い漁師が直径30センチ、深さも同じくらいの桶を釣り竿につけ海に投げ入れての稽古を見たが、この荒業で10〜20秒間に1本釣ると聞かされびっくり仰天した。だから漁船には釣り手が40人も乗り込んでの大仕事である▼尤も、今は網漁が盛んになり、1本釣りは減っているという。と、こんな話を綴っているのも、一昨年はどうしたわけか、さっぱり見かけなかったカツオが先頃の朝市で新鮮なのが5〜6本あり、日系の女将さんに「冷凍物か」と訊くと「フレスコ」とのことで5キロほどのを求め早速に刺身にし、美味満足の口福を楽しんだ。(遯)