当地では11年10月にウクライナ移民120周年が祝われ、同国のヤヌコーヴィチ大統領(=当時、現在はロシアに亡命し法的大統領を主張)が来伯した。文協でも同9月28日の民族芸能祭に各国総領事館代表らが特別に出席して祝った▼そのウクライナのクリミア地方がロシアに編入されたことで緊張が高まっている。ブラジルの視点からみると、ウクライナ移民と日本移民には、移住した動機が日露戦争前後のロシアを軸とする国際紛争と経済不況という共通点があり、洋の東か西かの問題であって歴史的〃双子〃のような存在だ▼ロシアは年中使える不凍港を求めて南下政策をとり、ウクライナやバルカン半島、極東に拠点を確保するために戦争を繰り返してきた。今回もそうだとの説を読んだ。ウクライナ新政権はEU寄りで、ロシアの重要軍事拠点だったクリミアから黒海艦隊を追い出し、米海軍、NATO軍に駐留させようとしたからロシアが怒って軍を駐留させたという▼ウクライナに紛争が起きて行き詰ると、矛先がいずれ極東に向くのではという恐怖感がある。日露戦争前の1895年から1920年代までの間がウクライナ移民のピークで5万人がブラジル南部へ移住し、中南米最大の集住地(約100万人)となった。一方、日本移民は日露戦争直後に当地移住を開始し、戦前だけで約20万人が渡った▼そんな風にあちらで起きたことが10年、20年後に日本側でも起きる印象がある。1986年にウクライナのチェルノブイリで起きた原発事故もそうだった。その25年後、福島原発事故が起きてしまった。ウクライナ問題はどこか他人事に思えない。(深)(※訂正=26日付け本欄で「セアラー州(州都マセイオ)」とあったのは、正しくは「フォルタレーザ」)
コラム 樹海
ニッケイ新聞 2014年3月28日