ニッケイ新聞 2012年3月10日付け
「地獄があるとすれば被災地だと思う」—。震災発生2週間後に在京ブラジル大使館で創立した『ブラジル連帯運動』(Movimento Brasil Solidario)のメンバーらは4月初旬から、瓦礫撤去、支援物資の配給、生存者の捜索にあたった。その数12回、延べ約450人が運動に携わった。震災から1年を迎える今、日本社会の〃一員〃として被災者たちに生きる勇気を届けた同会のリーダー、茂木真二ノルベルトさん(47、二世、神奈川県藤沢市在住)に取材した。
大震災から1週間、3月18日に自ら経営する建物解体工事業者「茂木商事」からショベルカーを持ち出し、宮城県石巻市の被災地で瓦礫を除き、生存者や遺体の捜索、支援物資の配給に取り組んだ。
「津波によって破壊され、遺体だらけになった被災地の状況に強いショックを受けた」
『連帯』創立後、被災地に通った。こんな経験もした。避難所で皆が眠りについた後「おじー、おじー」という子供の泣き声が聞こえ、メンバーらで涙したこともあった。
「被災者が垣間見せてくれた笑顔は、心の深い傷を隠すための笑顔だったと分かった」。そんな経験を経て、一層「被災者の力になりたい」との思いが強まった。
文房具や缶詰など支援物資を持ち寄り、同県南三陸町にも届けた。サンバ学校やカポエイラ学校の生徒らによるパフォーマンス、シュラスコで被災者を元気付けた。
在日ブラジル商工会議所を通して、ブラジル企業から寄付されたアルコール消毒液や自転車を宮城県に、電気カーペット555枚を仙台市の仮設住宅に届けた。仙台市に訪れたサッカー選手ペレ氏に同行し、小学校の子供たちを励ました。
茂木さんは「私たちだけではない。他のブラジル人グループも支援に行っていた」と連帯の広まりを実感する。
1989年に訪日し、最初は三菱エレベータで働き、92年に茂木商事を起業した。現在の社員は37人、うち日本人は5人。
「リーマン・ショックと震災という分水嶺を経て残った人は、長期滞在か永住を考えている〃移民〃。日本社会の一員として、これからも支援を続けていく」と長い復興への道のりを見据えた。