ホーム | 日系社会ニュース | パラナ=三世金伏ウーゴ選手がヤクルト育成枠に=両親が本紙に喜び語る=「プロになれば日本で応援したい」

パラナ=三世金伏ウーゴ選手がヤクルト育成枠に=両親が本紙に喜び語る=「プロになれば日本で応援したい」

ニッケイ新聞 2012年3月15日付け

 パラナ州アルト・パラナ出身の日系三世、金伏ウーゴ選手(22)=白鴎大=が、昨年のドラフト会議で東京ヤクルトスワローズの育成枠2位に指名された。181センチ、体重85キロ。日本の高校、大学時代に磨いた左腕から繰り出される最速148キロの直球が武器だ。育成枠とは「日本野球機構」が選手育成を目的として球団の選手契約枠を拡大した制度。契約期間の3年間で1、2軍選手としての登録を目指す。遠くブラジルから応援する父ヨシハル(62、二世)、母サチコさん(58、同)さんに話を聞いた。

 「『ドラフトで選ばれたよ』と興奮気味の声を電話で聞いたのは去年の11月。私達も飛び上がって喜んだ」とサチコさん。
 3人兄弟の末っ子。ウーゴさんが野球を始めたのは5歳の頃。近隣のチーム「ノーヴァ・エスペランサ」のカタタウ(幼少)に所属。「ポジションはピッチャー。球は小さい頃から速かった」(ヨシハルさん)
 その後所属した「ノロエステ・ド・パラナ」では、プレジュニオール(14歳)までプレーした。8歳からは週4回の練習を続けた。
 「夕方、農場から帰ってくると『キャッチボールしよう』といってくる。コントロールが悪くて、球を拾いに走りましたね」と笑う。その後、マリンガのチームに所属、遠征も増えた。
 練習場は家から70キロ。週末に送り迎えする車の中で「日本でプロになりたい」と夢を語っていたという。
 「私達もよく応援について行った」とサチコさん。「足はガット(猫)みたいに速かったよ。ルールはよく分からないけど『サンシン(三振)』だけは覚えました。ウーゴの試合でよく聞いたからかな」と笑う。
 全伯野球大会優勝も経験、ブラジル代表として、メキシコ、アルゼンチンへと遠征に。14歳の時、硬式野球世界大会のブラジル代表に4度選出。04年に日本で開催された大会では、団体3位、個人ではベストナインに選ばれた。
 その活躍を見たスカウトが来伯、日本行きが決まった。15歳だった。
 「みんなで喜び、僕も涙をこぼした」とヨシハルさん。言葉や生活の違いを心配したが、反対はしなかった。「自分が行きたいといったから。本人の気持ちを大切にして送り出しました」
 佐野日大高校では慣れない寮生活に悩み、2年の6月には左ひじ手術を経験。結局公式試合の当番は1回もなかった。しかし、白鴎大学に進学後才能は開花。球種を増やし、大学4年の春に待望の初勝利を上げている。
 昨年12月に一時帰国した。息子とのキャッチボールを久々に喜んだヨシハルさんは「体格は普通だったが、日本へ行ってから身長が伸びた。投げ方も、球の速さも段違いに良くなった」と成長ぶりに目を細める。
 「まだまだこれからという時期。プロは厳しいと思うが、泣いても野球続けていた、あの頃と同じように頑張ってほしい」とエールを送る。
 「息子には『ブラジルには帰ってこない』ときっぱり言われた。プロで投げる日が来たら、夫婦で日本へ行き応援したい。それが今の夢です」
 マウンドに立つ息子を観客席で見守ることができる日を二人は楽しみに待っている。