ニッケイ新聞 2012年4月17日付け
俳誌「同素体」が廃刊になった。俳句や短歌、川柳などは苦手だけれども、こうした日本の伝統的な文学界も、後続移民が絶えてしまい作者などの老齢化が進んでいるの噂はよく話題になる。48年も続いた月刊の「同素体」が、発刊を止めざるをえないのも、俳句好きな人々や編集者が高齢化したのが理由だと、廃刊の辞を認めた畔柳道子さん(84)は寂しそうに綴る▼畔柳道子さんは「(略)創立会員では只一人残った市脇千香さんは95歳まで、句会場へひとりでメトロで通い、編集に携わって下さいました。97歳の今、お嬢さんの家で、静かな余生を過ごして居られます」と—「同素体」の同人たちもみんなが歳を重ねてきたのを静かに振り返っている。そしてアマゾンのベレン風みどり句会や遠隔の地の俳句好きな方々に「有難うございました」と礼を述べ擱筆する▼こうした哀しみは、俳句だけではなく、短歌や川柳界にも及ぶのは避けられまいが、日本人移民の一人としてはやなり寂しい。俳句の木村圭石や佐藤念腹、短歌では岩波菊治なども黄泉に旅立ったが、南仙子も確か二十数年前に亡くなっている。ブラジルに渡ってからソロカバナ線の文化植民地に入り、サ紙の内山勝男主幹や豊和社長だった藤平正義氏らと、仕事もせずによくしゃべり「遊んだ」らしい▼いささか気が短いけれども、口を開けば滔滔と弁じる。駆け出しの頃、パ紙の創刊号の「アンテナ」に南仙子の一句があり、内山編集長に訊ねると「俺とは植民地がいっしょでな」といろんなエピソードを語って呉れたのも懐かしい。俳誌「同素体」よ。ご苦労さま。サヨウナラ。(遯)