ニッケイ新聞 2012年4月27日付け
今年もそろそろ鳴子が聞こえる季節——。2003年の第1回大会開催からわずか10年間で、すっかりコロニアの一大イベントに成長したYOSAKOIソーラン(以下、YOSAKOI)。大会には毎年約20チーム前後が参加するが、全伯に点在する約80チームが活動中だ。今年7月29日にサンパウロ市のイベント会場「ヴィア・フンシャル」で開催される第10回記念大会には、本場・北海道で行なわれた大会の昨年度の優勝チーム『夢想漣えさし』もはるばる駆けつける。YOSAKOIをブラジルに持ち込み、その発展に情熱を傾けてきた仕掛け人・飯島秀昭さんの熱い思いを聞いた。
■ブラジルで始めようと思われたきっかけは?
元々は「南中ソーラン」が感動的で素晴らしいと聞いて、その講演録を探したのがYOSAKOIを知ったきっかけ。荒れた学校がソーラン節で立ち直るという話で、探していたら北海道出身で掃除の会の仲間が講演録にYOSAKOIのビデオをつけて送ってくれた。ビデオを見て「ひょっとしたらこれで日系の若い子を呼び戻せるかも」と思った。
ずっと若者を呼び戻す手段がほしいと思っていた。というのも、今は「ジャポネス・ガランチード」(Japones Garantido、日本人はできる)という信用がなくなって、一世も高齢化して日系社会を良くしようという人がいない。
だから若い子の組織を作って、日本的習慣や躾を伝えていきたいと思ってた。そうすればいつかブラジル人にも日本的な習慣が身に着き、社会全体にとって大きなメリットになるはず。
ビデオを盛和塾の皆にも見せたら「これはすごい、日系社会が活性化するかも」と、やっぱりすごい反響だった。それでだれかがやらなあかんと思って、「俺がやる」と手を挙げた。
■ブラジル社会のためでもあるんですね。
ブラジルは狩猟民族の文化で腹が減れば狩に出るというやり方だけど、このままじゃ行き詰る。自然のものや資源を輸出するといっても、いつまでも持つわけじゃない。やっぱり農耕民族の考え方を取り入れて、明日を見据えて人を育てていく文化を創らないと。
それには「お互い様」「時間を守る」「身の周りをきれいにする」という基本的な道徳が根付かなきゃ駄目。それが広まればもっといい国になると思うし、そうでなければいくらいいものがあっても、砂の上に立てた城のようなもの。
ブラジルに日本的道徳を根付かせるということは、砂漠で水田を作るようなもので大変だけど、YOSAKOIを通じていつか花が咲くかもしれない。
実際、大会を始めたばかりの頃は、12時開演と言っても皆「どうせ遅れる」と思って遅れて来ていたのに、今では開演前には集まるようになってきた。YOSAKOIの影響は踊り手だけじゃなく、ちゃんと観客の間にも広がっている。
■日伯社会に貢献したいという思いはどのようにして生まれたんですか?
盛和塾に入って19年目になるけど、稲盛和夫さんは歴史に残る名匠だと思ってる。この人と同じ時代に生まれて同じ空気が吸えたのはすごいこと。月例会の帰りは興奮して眠れなくなったくらいだった。その稲盛さんが美化・共生を説き、「社会に必要とされる会社を作れ。自分の使命感を見出しなさい」と言った。
じゃあ俺がブラジルに来た意味はと考えたら、それは日系社会とブラジル社会を変えること、日本とブラジルを繋ぐことだと思った。いつかはブラジルに来た足跡を残したい。そのアクションの一つにYOSAKOIがある。稲盛さんとは何度も会ってるし、俺のやってることを意義付けしてくれたと思う。
■始めてよかったと思われる時は?
一昨年くらいから、オープニングから涙が出ちゃって見てられないくらいすごくレベルが上がった。踊り終わった子達の嬉しそうな笑顔、あれは金では買えないね。観客がリズミカルに跳ねながら帰っていく姿を見ると、「俺生きてる跡を残してるな」って思う。
北海道の200万人が見るより、ここで2千人が見る方が価値はあるんじゃないかな。こっちで踊っている人の方が感動は大きいと思う。
■どのように発展させていきたいですか?
YOSAKOIは使い方によっちゃ、100億くらいのすごい経済効果がある。日本では3〜400チームが踊って200万人が見に来る。経済効果は250億。
俺は10年で商品作りはした。資金的にも飯島の思いで続けてきたけど、いつまでも俺がやってたら周りが成長しない。これからは一つの企業体系を作って、関わる人たちがボランティアじゃなく、収入を得て生活していける組織作りをしていかないと。あとは、やりたい団体がどうサポートしながらやってくかの問題。
3、4年前からルアネー法(企業が税金の一部を文化事業認可団体に支払うことで、活動を資金的に支援する制度)の利用も始めた。今までは認可が下りるのがギリギリで資金繰りが難しかったけど、もっと早い段階で認可をもらい、もっと多くの企業から援助を受けられるようになれば理想的。でも、今はまだこういったビジネスの出来る跡継ぎがいない。俺が死ぬまでやらなきゃダメかな…(苦笑)。
演技の面では、動きのキレや締りが出てくればもっといい。ブラジル人は体力もあるし運動神経もいいし、カポエイラみたいな独自のものもある。これから日本人に出来ないような動きが段々出てきて、独自性が生まれてくればと思う。
日系社会で勢いのある、太鼓とYOSAKOIを前後でやってもいいんじゃないかとも思っている。
飯島秀昭さん
1950年埼玉県生まれ。床屋を営む職人気質の父の背中を見て育ち、70年に自身も美容師免許を取得し上京する。サロン数店を経て、原宿の今井英夫氏のサロンに入店。カリスマ美容師の草分け的存在として絶大な人気を得、講師としても新カット技術の普及に努めた。
79年に来伯し、知人の美容室チェーンに入店。不利な新参者の立場や言葉の壁もものともせず頭角を現し、半年で全店ナンバー1にのし上がる。82年に美容室「SOHO(蒼鳳)」1号店をオープンし、「人を育てる」「人を信用する」という日本的考えに基づいた経営でブラジル内第2位の美容室チェーンに育てげた。
人生の師・京セラの稲盛和夫氏の説く「利他の心」「共生」をブラジルにも反映させたいと、96年に「ブラジル掃除に学ぶ会」第1回目を開催。企業の社長らを集めイビラプエラ公園のトイレ掃除をし、伯社会を騒然とさせた。以来16年間、平日朝4時半から6時まで街の掃除を行い、着々と掃除の輪を広げている。
若者の日系社会離れに危機感を抱き、若者を呼び戻し日系社会を活性化するための手段として2003年に「YOSAKOIソーラン大会」を開催。大きな反響を呼んだことで毎年開催を続け、今に至る。
第10回大会募集要項=締め切りは6月15日
ブラジルYOSAKOIソーラン協会(浜崎マルセリーノ会長)では、『第10回ブラジルYOSAKOIソーラン大会』を7月29日、ヴィア・フンシャル(Via Funchal, Rua Funchal, 65, Vila Olimpia)で開催するにあたり、5月15日〜6月15日まで参加団体を募集する。
条件は各チーム最低12人以上の踊り手がいること、国籍は問わない。カテゴリーは子供部門(平均年齢が15歳未満)、大人部門(平均年齢が15歳以上)の2部門。
申込みはサイト(www.yosakoisoran.org.br)、問い合わせは同協会(11・3541・1809)まで。