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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2012年5月18日付け

 日本から来たばかりの青年をアマゾンの団体幹部に引き合わせた。共通項は「日本人」のみ。年齢も違い話は当然かみ合わない。中座して5分後に戻ると親しい雰囲気で談笑中。実は青年が治療で通っていた整形外科のリハビリ担当が、幹部の親戚だった▼かつてブラジルに住んだ九州在住の友人が、広島の会合に出席した。懇親会で隣に座った参加者と名刺交換。話題がブラジルに及び「もしかして…」と出たのがコラム子の名前。実は幼少時からの親友。一気に話が盛り上がったようで、酒を酌み交わし、肩を組んだ写真を送ってきた▼初対面の人間が話すとき、多くが共通項を探し始める。出身地や年齢、学校、共通の知人だったりする。その作業で共有できる部分からお互いを推し量っていく。それは何か〃縁〃と言えるものなのだろう。だが多くの場合、「奇遇だねえ」「世界は狭いねえ」で終わる▼移住当時の「会うべくして会った」エピソードをよく聞く。その出会いがなければ今はない、といった類のものだ。それは運を手繰り寄せようとする人生に対する切迫感のようなものが、縁を良縁に育て上げるのだろう。安穏とした生活のなかで、見逃している出会いがあるかと思うと人との付き合い方を見直したくなる。その逆もあるわけだが▼来伯当時、どう考えても神の配剤としか思えない出会いがあった。記者を始めたばかりの頃で、自分の進んでいる道は正しい—と意を強くしたものだが、さて。縁の判断は先延ばし、運を伸ばす毎日を送りたいものだ。(剛)