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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2012年6月16日付け

 最近の邦字紙には、同航会の記事が多い。それが、昔のようにベタ記事ではなく、4段抜きや派手で華麗なトップを飾るケースもあり老眼鏡を手放せない当方は「ヘエー」と天を仰ぐことしきりである。歳を重ねるに従って脳の機能が低くなるものらしく、昨日のことも忘れがちながら、不思議なことには、あの遠い遠い昔に乗った移民船の日々が今も心の奥底に鮮やかな絵を描き生きている▼「あふりか丸」や「あるぜんちな丸」と船名は異なるが、あの「蚕棚」の寝床もだし、船酔いの苦しさ。それでも移民として荒波を乗り切るご老人や若者の胸には、大農場主になるの野望が漲っている。大阪商船の移民船は、食べ物も美味だし、赤道祭には確か鯛の塩焼きが食卓に上り、我ら移民は感激したのも懐かしい。パナマ運河や旧キュラソー島での賭博大敗は悔しく、サントスに着いたときポケットには100ドルが一枚の情けなさだけれども、そんな貧乏を吹き飛ばす若者の生気と元気があった▼そして30年、40年と時がすぎやっと50周年かになっての同船の集まりなので語り合いにも熱が入る。と、老いた移民らの話題は尽きないが、こうした戦後移民の送り出しには吉田茂首相の功績を忘れてはなるまい。戦後の貧窮のときから移民の大切さを考え、イタリア移民の活躍にも目を向けた▼昭和29年に欧米を歴訪した首相は、アメリカで有力銀行幹部らと会い、移民送出を語り、総額1500万ドルの借款に成功し、海外移住振興会社を設立して移住地購入などに踏み切った。18日は「移民の日」。こんな戦後秘話にも想いを馳せて欲しい。(遯)