ニッケイ新聞 2012年6月21日付け
「夜もすがら 荒き風吹き外にかけし 馬の首輪の鈴鳴りつづく」。15日、96歳で亡くなったコロニア歌人、清谷益次さんの作品だ。10歳で家族と移住、ミナスの開拓小屋での耳の記憶を詠んだもので、日本の賞も受けたときいた▼戦後に復刊させた短歌誌「椰子樹」の編集に長く携わり著作も多い。本紙「ニッケイ歌壇」の選者も務めた。元同人によれば「静かな人で研究熱心。ちょっと短歌をかじっただけの戦後移民では太刀打ちできなかった」と振り返る。コロニア文芸を支えたのは準二世だが、その牽引役の一人だったことは間違いない▼冒頭の歌は、2006年に人文研が発刊した『ブラジル日系コロニア文芸』(上巻)の出版記念会で書いてもらった。作品を残すのみならず、「移民の精神史を残したい」と短歌における〃移民の想い〃へのこだわりは、同胞への愛惜溢れる同書に結実した▼清谷さんの話題はコラム子と同郷の広島でも出た。90年代の取材で知己を得た中国新聞(本社・広島)の西本雅実編集委員との共通の知人だった。逝去を伝えるとすぐさま電話があり、訃報を掲載するという。ご本人は「郷里にもう知り合いはいない」と語っていた。86年間、異郷で日本を想い続けた一移民の死に何をか思う人はいるだろうか。それを推しての判断に少々胸が熱くなった。訪問のさい持参した同紙を「いくら離れても広島のニュースは知りたい」と愛しそうに読まれていた。最高の餞だと思う▼本紙の前身であるパウリスタ新聞の初期に社会部デスクを務めた大先輩でもあった。その謦咳にわずかでも触れることができたのは幸せだった。合掌。(剛)