ブラジル日本移民104周年
ニッケイ新聞 2012年6月23日付け
ブラジル日系社会は6月18日に移民104年を迎えた。一口に104年というが、80年前に発明されたライト兄弟の飛行機が今では宇宙を飛び回るほどの発展を遂げるほど、時代が変わる。
ときどきグァタパラ移住地を訪問する機会があり、第一回移民船でサントスに着いた鹿児島出身を中心とした移民が配耕されたグァタパラ耕地に足を向ける。
そこには移民たちが植えたとされる棉の木の大木があったり、朽ち果てたような映画館、コーヒー選別所があったりするが、104年の長い時間の中で世の発展から取り残されたような、裏悲しいような佇まいに出会う。長い時間の中に発展と、発展とは何の繋がりもない空間もあるということを、肌身で感じる瞬間である。
戦前戦後を含め、25、6万の日本人が第二の祖国、ブラジルの地を踏み、多くの方々が生まれた日本ではなく、ブラジルの大地に帰っていった。日本人がブラジルに残した功績は多々あるといわれ、事実であるが、「ブラジルの大地に眠る」ことにもまた大きな意味があるように思える。それは、この地に日本人の血を残したことではないだろうか。
立場上、多くの日系人にお会いする機会が数え切れないほどある。その多くの方々が、先人の血を引いたことを誇らしげに思われていることに、低頭することが数多い。
自分も移民の一人として、150万の日系社会の中に分け隔てなく入れていただいたことも含め、個人としても益々低頭し誇りにも思う。
また忘れてはいけないことは、養国ブラジルを愛し、好きになることだと、常日頃自分に言い聞かせている。
昨年起きた大震災に、ブラジルは官民を上げて支援してくれた。このことについては、同じ年に行われた「海外日系人大会」で、ブラジル国とその国民に対し心からのお礼を表する機会を得た。
私は長くサンパウロに住んでいるが、いまだにブラジル語はソタッキジャポネーズが抜けきれない。しかし、君は日本人かと聞かれたとき「私は80%ブラジル人です」と答える。それは、常にブラジルで日本人がどこの外国よりも大事に尊敬されていることに繋がっていると確信しているからである。
太陽黒点と景気の浮き沈みは繋がっているといわれ、商売人である私も、幾度も浮き沈みを経験した。去年から今年に掛けて、沈みの通過点が2012年である。それは景気だけではなく、欧州の政治的混乱、あるいは日本に起きたような自然災害にも現れている。言いかえれば、日系社会もこのような壁を避けることはできず、それを糧としてこれからにつなげる礎の年ではないのだろうか。
最後に104年の歴史と先人を尊び敬い、日系社会が今以上にブラジルに同化し、継続的発展に繋がっていって欲しいと祈念したい。