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92回目も〃招魂祭晴れ〃=A・マッシャードで今年も=サンパウロ市から「友の会」も参加

ニッケイ新聞 2012年7月11日付け

 アルバレス・マッシャード文化体育農事協会(佐野アルベルト会長)主催の『第92回招魂祭』が8日、同地の日本人墓地及び旧ブレジョン植民地第一小学校で開催され、先亡者慰霊法要と慰霊祭が執り行われた。前日まで大雨が振ったが、今年も〃招魂祭晴れ〃に恵まれた。演芸発表などが行われた慰霊祭には約700人が詰め掛けた。それに先立ち行われた先亡者慰霊法要には約400人が出席、それぞれに先亡者の冥福を祈った。

 日本人墓地で行われた先亡者慰霊法要では、同文協を代表して和田光喜さん(83、二世)が「この地の土となった先人たちの尊い命全てが、今日のブラジル日系社会、二、三世の活躍の礎となっている」と追悼の辞を述べた。
 同墓地は、サンパウロ州から歴史文化財として認定されている唯一の日本人墓地。1919年から当時の大統領ジェトゥリオ・ヴァルガス氏によって禁止される43年までに784人が埋葬された。地元関係者が「6、70代以上がこんなに少ない墓地は珍しい」と語る通り、犠牲者の約4割が4歳に満たない幼児、続いて10代、20代と若い世代が続く。
 15歳の時から同地に住む伊東夕記子さん(84、千葉)は10歳で命を落とした夫の弟の供養に訪れた。「サトウキビを齧って歯が折れたのがきっかけで亡くなったと聞いた。その程度のことでも医者にかかれなければ死んでしまうのね」という言葉から、当時の医療環境の悪さが伺える。
 11歳で母を失った樋川勝重さん(83、山梨)は「ここに来る度に優しかった母を思い出す」と当時を振り返り「あの時と比べて、この地の景色もだいぶ変わってしまった。変わらないのは(招魂祭の会場となる)小学校だけ」と感慨深げに話した。
 法要後、隣接する小学校に会場を移し、慰霊祭が開かれた。開会式では、昨年まで8年間に渡り同文協の会長を務めた松本一成さんと、同地の日本文化の普及・継承に多大な貢献を果たした奥ソロカバナ日伯連合文化協会の纐纈俊夫会長の2人に対し、佐野会長から記念プレートが贈られた。
 その後行われた演芸発表には55組のグループが出演。およそ5時間に渡って民舞やカラオケ、合唱などが披露された。
 午後5時をまわり、日が陰り始めると、当日参加出来なかった遺族のため、墓石一つ一つに蝋燭が灯された。
 「この時間帯になると不思議と風がやむ」と佐野会長が話した通り、蝋燭は一つとして吹き消されることなく静かに揺らめいていた。
 家族らとともに訪れた野地敬子さん(78、二世)は「この景色を見ることが出来ただけで来た甲斐があった」と幻想的な光景を見つめながらため息をついていた。
 同地出身者で構成される「友の会」からはバス1台を貸切り28人が参加。同会結成の2001年以来毎年参加し、バスの手配などの調整役を務めた鈴木ラウラさん(二世、65)は「会員が病気をしたり、亡くなったりして参加者は少しずつ減っているが、マッシャードは大切な故郷。出来る限り長く続けていきたい」と笑顔で話した。