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■解説■関係復活へ大きな一歩=南伯文協、援協が手を取り合い

ニッケイ新聞 2012年8月25日付け

 「南日伯の絆を深めよう」—。18、19日にポルト・アレグレで初開催された『日本祭り』のサブタイトルだ。この言葉には地元コロニアの願いが込められている。むしろ「南伯コロニアの―」という意味合いが強い。
 ここ数年、同地コロニアは揺れに揺れた。南日伯援護協会が土地・家屋を所有する日本語学校の売却問題を巡り、学校の運営母体である文協との間で大騒動に発展した。事の経緯を振り返ってみよう。
 援協は1987年、JICAの助成とコロニアの浄財を得て、土地家屋を購入。98年、現在の場所に移転している。慈善団体が日本語学校の経営を行なうことに法的な困難が生じ、04年に文協を設立した。
 経営状態悪化を背景に、援協は賃料(200レ)の値上げを提案。これを文協が拒否したことから両団体の関係に軋轢が生じ始める。援協は09年7月の臨時総会で売却を承認。34万レでの買い取りか、立ち退きを迫った。学校側は不服申し立てを行なう一方で、父兄らに説明会を開き、署名活動、領事に調停を依頼するなど泥沼状態に陥った。
 昨年、菅野和寿・文協会長と近所付き合いのある軍警のセルジオ・アブレウ司令官から会場の無償提供の申し出があったが「それどころじゃない」(菅野会長)という状態だった。
 その後、事態収束を図るため、両団体に所属する理事らが奔走、今年の総会で同地コロニアの重鎮、森口幸雄氏が援協会長に就任、「売却はあり得ない」と明言。主要援協幹部らが退任したことから、日本祭り開催への動きが加速化した。
 主催は文協だが、援協が実施する慈善演芸会を同会場で催し「合同」の形を取った。イボチ、ペロッタス、イタチなど州内の各移住地からも多くが会場を訪れた。
 イボチ移住地から40人で駆けつけた同地文協の折田国治会長(75、鹿児島)は「色々あったけど…今日から始まると考えたい。今回文協に招待されたが、次回は移住地を挙げて全面協力したい」との姿勢を見せる。
 しかし、同移住地在住で渦中の人だった鈴木貞夫元援協会長の姿はなかった。売却推進派らと援協の会員を辞め、しこりが残った形になったことを残念がる声もある。
 同問題で矢面に立った大澤秀子日本語学校校長は「逆に私たちは援協の会員になった。だけど今日の成功を見れば分かってくれるはず。立場を超えて協力し合える日を待ちたい」と話す。
 両団体の橋渡しに心を砕いた谷口浩さん(61、広島)は「これを機会にコロニアが上手くいくと思いたい。それにしても予想以上の人出だった」と驚きを隠さない。
 この時期、例年は非常に寒いのだという。しかし二日間とも汗ばむほどの好天に恵まれた。「天の味方」との関係者は喜んだが、会場の入りに安堵した言葉ではない。寒波などでイベント自体が失敗に終われば、コロニアの絆のスタートが切れず、次回開催も危ぶまれたことだろう。
 菅野会長は「毎年開催は難しいかも知れないが、市の正式行事になれば、様々な援助も期待できる。もっと良いものにできるはず」と自信を深めたようだ。
 独楽は回り始めた。官民一体、コロニア一丸となり、南の地の日本文化普及・交流が大きく発展していくことを願って止まない。(剛)